人間が生物を創造すれば、神による創造は否定されるか

【問12】人間の手によって、生命を創ることが実現しつつある。これによって生命の創造は神の手によるのではないことが、証明されるのでは?

生化学者たちが実験室で生物に近い有機体の合成に成功したかのような報告がたまになされるのか、人間による生命創造の日が近いと思っている人もいるようです。確かにミュラーの放電実験以来、人為的な条件下での生命構成物質(アミノ酸、核酸塩基など)の合成は可能になりました。そして今、三十数億年前に原始の海で科学進化して生じたであろう、ごく簡単な原始生命体の合成が試みられています。
まず、生命体の合成が可能かどうかを論じる前に、生命科学の研究者の生命の定義(柳川弘志「生命の起源を探る」)を見ておきましょう・・・

?生体成分の入れ物を持っている。つまり、外界との間に仕切り板(境界膜)がある。

?自己複製・自己増殖することができる。

?自己維持機能を持つ。すなわち代謝する。

?進化する能力を持つ。

いわば、自己目的と自立性を持った存在です。そうした自立的な生命体が本当に偶然に発生したり、人為的に合成されたりすることがありえるのでしょうか。

【1.非生命と生命の間には「偶然」では越えられない断絶がある】

偶然に生命が生じるという考え方の背後には、物質そのものに生命を生じる力が内在しているという汎神論的な発想があります。「人間を頂点とする生命の創造主は神ではなく、物質に内在するというエネルギーである。宇宙はそうした物質の壮大な活動の舞台であって、物質・科学法則に従い、いたる所で様々な現象が起こっているが、生命現象もその物質活動の偶然の所産に過ぎない」というわけです。つまり、生命と非生命は連続していて、両者の間に本質的な差はないというのです。したがって高度な精神的生命活動も、物質活動の延長線上にある現象になってしまいます(これは結果的に、生命や人格の尊厳の否定につながる仮説です。)
しかし、非生命と生命の間には、先に述べた自立性という断絶があります。エントロピーが増大し、全ての秩序あり形あるものが刻々と崩壊していく宇宙にあって、自己複製や自己維持という自律機能を持つ生命が偶然に生じて、進化していくというのは、宇宙の物質運動の法則に矛盾しています。
形あるものは崩れます。個々の生命体もそうです。しかし、生命は、新陳代謝や自己増殖をすることによって、自立性を保ち、崩壊に抵抗しています。この物質としての崩壊に抵抗していく力を所有していること、ここに「偶然」という要因だけでは越えられない生命と非生命の溝があります。

【2.生命創造は叡智的・全能的存在があって初めて可能となる】

人間には、生(なま)の物質(素材)から生命体を構成する有機体は合成できても、それに前述の「生命の定義」にあるような生命を授与することはできません。
では、百歩譲って、将来、万が一、科学者が実験室で生命の創造に成功したとしたら、どうでしょう。しかし、それでも、その成功は逆に、生命創造は偶然の所産ではなく、人間という叡智的存在があってはじめて可能になるということの証明になるに過ぎません。神が存在しないことの証明にはならないのです。
物質は、巧みに構成されれば、テレビやコンピューターのような機能を発揮するまでになります。物質は、そういう性質を内有しているのです。けれども、自らコンピューターに進化する性質は内有していません。人間という叡智的存在を待たなければならないのです。
同様に物質は、生命体を構成し維持するような性質は持っていても、生命を自立的に創造する力を内有してはいないのです。やはり、叡智的存在を必要としているのです。
生命は、コンピューターよりはるかにまさっています。人間の叡智をはるかに越えた神が、生命を創造されたとするほうが、はるかに妥当でないでしょうか。