神がいなくても人間は生きていけるか

【問9】なぜ神を求めなければならないのか。人間は神がいなくても生きていけるし、現にこうやって生きている。神などいないし、必要もない。

無神論の立場を徹底的に突き詰め、その通りに生きようとなさったことがおありでしょうか。純粋な無神論を本気で奉じて生きるとなると、それは容易なことではありません。どこで自己を欺くか、妥協するかしないと、神を否定した生活は普通の精神力では貫き通せることではないのです。どんな優秀な無神論者であっても、徹底的に無神論そのままを生きた人は見当たりません。いるとすれば絶望のあまり精神的に病気になったか、自殺を遂げた人ぐらいでしょう。たいていは中途半端な生き方をしています。

【1.神を否定する人生とは徹底して無意味を生きること】

純粋な無神論とは何でしょうか・・・

?人間存在は偶然であり、本質的に無意味である。

?人生とは、本来目的のない空虚な時間である。

?絶対的な価値観や善悪の基準はない。従って、全ての行為は無意味であり、善でも悪でもない。

?死とは、すべてが無になることである。

創造主を認めないということはこういうことなのです。何のために生きているのかを問うことさえ意味であり、ただ存在しているから存在している、としか言いようがありません。そんな無意味・無目的な人生をどのように生きるかというと、その時その時の自己満足を求めて、気晴らしや暇つぶしをするということになります。愛や友情や平和や人格なども本質的に無意味であって、それらに暇つぶし以上の意味を認めることは、無神論の立場に反することになります。

【2.無神論の立場では生きられない】

あなたは、知識や技術の取得、仕事、恋愛、結婚、家庭の形成、新しい命の誕生、子育て、死など、人生のすべての営みが無意味であることを、正面から見据えながら生きることができますか。失敗しても成功しても無意味、病気であろうが健康であろうが無意味、愛されようが憎まれようが無意味、生きても死んでも無意味だと、自分の感情を押し殺して生きることができますか。世の中がそんな人ばかりになったら、不気味だとは思いませんか。しかし、それが無神論の生き方なのです。
私は学生の時、生の無意味さを徹底させようとした時期がありました。何事にも意味や目的や感動を求めない生き方です。そんな生き方には、鉄玉と鉄釘が物理法則に従ってぶつかるだけで、およそドラマのないパチンコ屋が似合っていました。授業にも出ず、朝から晩まで入り浸りの生活を続けました。しかし、四六時中、何事にも意味を認めず生活することは、心のどこかで自分を欺かないかぎり不可能です。私は無意味さを生きようとする一方で、実際には意味を求めて生きている自分に気付かされました。その自分を無視し続けるなら、精神的な病気になることも知りました。
現実には、人間は無神論では生きられないのです。

【3.人間は神を求めている】

人間は本来・・・

?自分が何者かというアイデンティティを求めます。

?人生に意味や目的を求めます。自分は役に立っているという実感に充足を感じます。

?絶対的な価値観・倫理観を求めます。愛し愛されることに意義を感じます。

?永遠的で変わらないものを求めます。

無神論者を自称する人々も、実際は無意識のうちに何らかの形でそうしたものを求めて、心の空洞を満たそうとしているのです。しかし、無神論の立場に固執して中途半端に生きているので、その空洞を満たすことはできません。心の空洞を満たすことのできるのは、人間を創造した神だけです。というのは、その空洞をつくられたのも神だからです。神は、人間が神を求め続けるようにと、人間の心の中にそうした空洞(永遠への思い・・・伝道者の書3章11節)を設けられたのです。ですから、人間はその神に出会うまで求め続けます。神との出会いがあってはじめて人間存在は意味をもつようになるのです。
つまり、人間は神なしには、満たされた人生を生きることができないように造られているのです。