キリストは他の宗教の教祖とどこが違うか

【問15】キリスト教はイエス・キリストのユニークさにあると言われますが、他の宗教の教祖と具体的に何が異なるのですか?

キリストは、人格、能力、行いにおいて、他の教祖とは全くかけ離れた方です。そのいくつかを挙げてみましょう。

《1.キリストは神である》

まず第一に、キリストのユニークさはその神性にあります。キリストは自らを神であるとなさいました。
世に「神託を受けた」と称する教祖・預言者は多しといえども、自分は創造主なる神であると主張したものはいません。奇跡を起こした人間はいるでしょう。しかし、自分を全知全能の神とした者はいません。もちろん神を僭称した人間はいることでしょう。しかし、自分を全知全能であることを、自ら実証した者は一人もいません。あるいは、それに近いことをした人間はいるかもしれません。しかし、その一生で一度も罪を犯したことのない者はいません。キリストは人であると同時に、聖なる全能の神なのです。

《2.キリストの出現は千年以上前から預言されていた》

キリストは、過去の歴史と何の脈絡もなく突然現れ、その人生のある段階で突然、自分は救い主であると悟ったわけではありません。キリストのキリストとしての歴史的出現は、数百年前、千数百年前から預言され、約束されていたのです。いつ、どこで、どのようにして生まれ、どのように育ち、どのようなことをし、どのようにして死ぬかまで、事細かに旧約聖書に預言されており、そしてそのすべてがキリストにおいて成就したのです。いわば、キリストは由緒あるお方なのです。

《3.キリストは人間の能力やこの世の権力に全く依存されなかった(士師記7章2節)》

一人の人物が一つの宗教団体を設立するのに、欠かせないものが3つあります。それは?教祖および弟子の資質と恵まれた条件?財力?組織です。どの宗教団体もこの3つを土台として始まっています。しかし、キリストだけはそれを必要とされませんでした・・・

?イエスは軽蔑の目で見られていたガリラヤ地方の大工の家の出で、学歴もコネもなく、指導を仰ぐ人もいませんでした。宣教活動は足で歩いた3年半のみ。自分の教えを著作に残すこともありませんでした。弟子といえば、無教養な漁師か社会から疎まれた収税人といった人たちで、師の生前に師の真意を理解した者は一人もいませんでした。

?キリストには資金もありませんでした。欲すれば、膨大な献金を集めることができたでしょうが、あえて集めようとはしませんでした。また、拠点とすべき土地も建物もなく、時の権力の迫害から身を守る手段もなかったのです。

?キリストは12弟子の選任こそすれ、組織は持たれませんでした。その12弟子も師の危機に際しては、あるいは裏切り、あるいは見捨てて逃げてしまいました。
そして十字架の死です。キリストが死んだとき、著作もメッセージテープも弟子も財産も組織も何も残りませんでした。しかも、政治的・宗教的迫害を受けての刑死でしたから、当時の社会から百パーセント抹殺されたといっていいでしょう。人間の目には完全なる失敗です。
このような教祖が他にいるでしょうか。意図的に地上的なものや人間的な権威を徹底的に排除されたところに、キリストの神性の真価は発揮されるのです。

《4.キリストは「復活」によって神の力を示した》

キリストが死に、完全なる失敗に終わったかに見えた時、キリストは復活します。キリストは滅びと死に打ち勝ったのです。かつて死を克服した「教祖」がいたでしょうか。実は、キリストが徹底してこの世の力に依存されなかったのは「復活」によって、正真正銘の神の力が、純粋にあらわれるためだったのです。キリスト教はここから始まります。「教祖」の死と復活から始まるところに、他宗教との決定的な違いがあります。

「私が道であり、真理であり、いのちなのです」(ヨハネの福音書14章6節)
道を説き真理を説いた宗教家はいても、自らが道であり真理だと主張した者はキリスト以外にはいません。釈迦もマホメットも、また悟りを必要とした不完全な人間でした。
このように、キリスト教は、キリストの完全性=神性の土台の上に成り立っているのです。