キリストの処女降誕は事実か

【問20】イエスが処女マリアから生まれた(処女降誕、処女懐胎)という非科学的な話が、クリスチャンにはなぜ信じられるのか不思議でなりません。どんな根拠があるのですか?

マリアは聖霊によってみごもった、と聖書は語ります。ここで重要なのは、通常の夫婦の性行為によってではなく、神の介入(聖霊)によって妊娠したということです。そうしたことが起こるために、女性は処女である必要はありませんが、処女であれば最も明確です。しかし、処女でも全くの未婚女性であれば、ユダヤの律法によって公に裁かれ、姦淫の罪を犯した者として石打の刑に処せられてしまいます。そうなれば、胎児のイエスの命が危険にさらされます。そこで、婚約中(ユダヤの慣習では、性的関係はないが結婚と同等とみなされる期間)のマリヤが選ばれたのではないかと推測されます。
そのことを理解していただいた上で、質問にお答えしましょう。

《1.科学性より事実性》

科学的であれば事実だとは限りませんし、事実であれば全て科学的であるわけでもありません。また、科学的でなければ事実ではないとも言えません。問題は、処女懐胎を科学(生理学)的に証明できるかどうかではなく、イエスが処女マリヤから生まれたことが事実であったかどうかです。
新約聖書で最初に出てくる事件が、この処女懐胎なわけですが、こんな事件はなにも科学時代に生きる現代人でなくても、つまり当時の人でも信じ難いことです。にもかかわらず、著者のマタイは、のっけからこんなばかげた話を平気で書いているのです。なぜでしょうか。それは、まさに彼自身が、マリヤの処女懐胎が事実であると確信したからです。
天地万物を造り、人間に命を与えられた神が、全能の力を働かせて、処女を懐胎させることは不可能ではありません。自然法則(科学性)を定められた神が、それを越えられないことはありませんし、また、それを越えて人間の歴史の中に介入されたとしても(事実性)、不思議ではありません。

《2.マリヤと夫ヨセフの決断と行動》

処女懐胎を一番信じ難かったのは、現代の私たちでもなく、マリやの周辺の人々でもなく、当事者のマリヤと婚約者のヨセフではないでしょうか。ふたりにとって、これは降って湧いた災難であり、悲劇です。社会的には、マリヤは不貞の汚名を負い、ヨセフは妻を寝取られた夫という恥辱を被ることになります。二人は婚約中といえども夫婦として扱われる期間にあったわけですから、ヨセフはマリヤを訴え出て、石打で殺すことも、離縁することもできました。少なくともこのままマリヤを妻とすることは、当時のユダヤ人社会では耐え難い屈辱でした。
しかし、ヨセフはマリヤを訴えることも追い出すこともせず、生まれたイエスを自分の子として認知するという行動に出たのです。一度は離縁しようとしていたヨセフが、「生地無し」「姦婦の夫」という屈辱に耐えて、自分の子ではない子を妊娠したマリヤを迎え入れたのは、重大な何事かが起こったからにちがいありません。
聖書には、主の使いが夢に現れてこう語ったとあります。「恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。」そして、マリヤにも同様の告知がありました。このふたりが周囲の白眼に耐えてイエスの父母になる決心をしたところに、処女懐胎の事実性を見ることができます。

《3.摂理としての必然性》

救い主の処女懐胎は、脈絡のない突然の事件ではありません。あるいはメシヤの誕生を神秘化するための小細工でもありません。そこには、摂理的な必然性があります。

?旧約聖書の預言の成就
救い主の処女懐胎は、それより700年ほど前、イザヤによって語られた預言の成就でもありました。「見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産む」(イザヤ書7章14節)

?救い主であるための必然性
イエスが救い主であるためには、完全な神性と人間性の両方を備えていなければなりません。罪人には罪人を救うことはできません。人間の罪を背負うためには、罪の当事者であるアダムの子孫でありながら、罪がない完全な存在でなければならないのです。それが可能なのは、人間の身体を通して聖霊によって宿るという方法だけです。