ロマ2・29

「かえって人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、文字(もんじ)ではなく、御霊による、心の割礼こそ割礼です。その誉れは人からではなく、神から来るものです」(ロマ2・29)。心に割礼を受けていれば、自ずから、聖霊の品性と愛が行いに滲み出るようになります。本物のクリスチャンは隠れた行いを誇りとします。人から称賛を受けずとも、主は知っておられます。それでいいではありませんか。