ロマ3・27

「それでは、私たちの誇りはどこにあるのでしょうか。それはすでに取り除かれました。どういう原理によってでしょうか。行いの原理によってでしょうか。そうではなく、信仰の原理によってです」(ロマ3・27)。自分の行いを少しでも誇る人は、まだ自分の罪の深さがわかっていないのです。十字架がわかれば、とても誇れません。ただ主だけを誇りとしなさい。行いはその誇りの無言の表現です。