赦されない罪があるか

【問29】どんな罪を犯しても、本当に赦されるのでしょうか。もし赦されない罪があるとすれば、どの段階で赦されなくなるのですか?

こうした質問をなさる方々は、だいたい次のような二つのグループに分かれるようです。

A.今までに犯した罪があまりにも重大で、自分のような者はとても赦されないと思い込み、心に恐れをいだいている人たち。

B.今、罪に駆られているが、神の裁きを恐れ、すれすれの線まで行って、取り返しのつかなくなる前に引き返して来ようと考えている人たち。

まず、Aのグループに属する人たちにお答えしましょう。

神の愛に赦すことのできない罪はありません。たとえどんな段階の罪であっても、その罪を告白しキリストを受け入れるなら、赦されます。あなたが絶対に赦されるはずがないと思っているその罪のためにこそ、キリストは十字架にかかって死んでくださったのです。そのことを信じるなら、神はあなたの罪を忘れてくださり、もはや誰も(あなた自身も)あなたの罪を責めることはできません。
問題なのは、罪を犯す準備を心に整えて、神の目を欺こうとしているBのグループに属する人々です。そうした人たちは罪を犯した後で、真剣に悔い改めの祈りをして、赦しを受けようなどと予め計算しています。罪を犯さざるを得なかった様々な言い訳を、心に用意している人もいます。
しかし、このようにして罪を犯し続けている人は、計算通り悔い改めても赦されることはありません。なぜでしょうか。

《1.聖霊を汚すものはゆるされない》

赦しを予め計算して罪を犯すことは、イエス・キリストの血潮による罪の贖いを乱用することであり、私たちに内在される聖霊を欺く行為です。聖書は、
「人はその犯すどんな罪も赦してもらえる・・・・・しかし、聖霊を汚す者は誰でも、永遠に赦されず、とこしえの罪に定められる」(マルコの福音書3章28節・29節)
と断言しています。
罪の種類や罪の深さが問題なのではありません。問題なのは聖霊に対する私たちの心の姿勢です。

《2.悔い改めの心がない》

罪が赦されるために、最初に必要なのは悔い改めの心です。しかし、罪を犯した後で悔い改めようと心のどこかで考えている人には、真の悔い改めの心はありません。そのような考えこそを、まず悔い改めなければならないのです。
私たちを悔い改めに導くのは聖霊の働きです。聖霊は、私たちが巧妙に仕組んで犯した罪をも暴き出し、悔い改めを促してくださいます。この聖霊の働きを無視することは、自ら悔い改めを拒絶することにほかなりません。
人間には、何とか罪責感を感じないように、つまり自分は罪を犯しているんだと自分自身も気付かないように、罪の誘惑に乗ろうとする弱さがあります。時には「これは罪ではない、不可抗力なんだ」と自分を説得して、罪を犯そうとさえします。しかし、本当はそれが罪であることを、心のどこかではちゃんと知っているのです。
ある人から「知らぬうちに、やむを得ない状況で、女性と性関係をもったとしても、やはり姦淫の罪でしょうか」という質問を受けたことがあります。「ええっ、いったいどんな状況だったのですか。」と聞き返すと、「いや、もしもの話です」とのこと。この方、「それは仕方がないんじゃないんですか」という答えを期待していたのです。牧師からそういうお墨付きをもらったら、自分で不可抗力の状況を造り出し、やむを得ない「罪」を犯すつもりだったのです。
人は自分を欺き、聖霊をだまそうと一生懸命に知恵を働かせます。その悪知恵を悔い改めないかぎり、決して赦されません。