神は弱いものがすがるものか

【問31】「神は弱いものが信じるもの、私は自分の力でどんな問題も解決できる強い人間でありたい」という人に、どう対応すべきですか?

世界の政治・経済のリーダーや、世界的に活躍している学者やスポーツ選手などの間には、クリスチャンが少なくありません。彼らは、世にあっては強い人です。しかし、彼らは神の前にへりくだり、神に信頼しながら生きています。そんな人々の前で「神なんか弱者がすがるもんだ。俺は自分の力で自分の問題を解決する」などと言ってみても、滑稽にしか響かないことでしょう。
人間は、本来、弱い存在です。科学や意志の力で強く見えていても、本質的には弱い生き物です。そしてその弱さに気付いていない人間ほど、恐ろしく、哀れで、滑稽なものはありません。
もちろん、強くなりたいという願いは間違ってはいません。私も強くなりたいと思っています。では、どうすれば強くなれるでしょうか。

《1.自分の弱さを認める》

些細なことで息絶える人間存在のもろさ、様々な誘惑にたやすく譲歩してしまう弱さ。どんな人も弱さを抱えています。しかし、自分の弱さを思い知ったときから、真の強さとの出会いが始まるのです。
神になど頼らなくても、自分は強く生きていけるというおごりは、弱さの裏返しです。聖書の価値観を徹底的に排除した科学万能主義の社会が行きついたところは、結局、解決策のない八方塞がり状態です。能力や富を誇る人の中には、家庭問題、人間関係、将来のこと等でいきずまりながらも、何一つ有効な手を打てないでいたり、あるいは悪習慣一つ断ち切れないでいたりするくせに、ただ強がりを言っているケースも少なくはないのではないでしょうか。
聖書には、超人的な精神力、忍耐力、勇気を発揮した歴史上の人物が数多く登場しますが、彼らに共通するのは、いずれも自分の弱さを認め、へりくだっているという点です。彼らは皆、神に信頼する者たちです。一方、屈辱的で惨めな最期を遂げた人物も登場します。彼らに共通するのは、自分の力を過信していたという点です。
聖書は、「神は、知恵あるものを辱めるために、この世の愚かなものを選び、強いものを辱めるために、この世の弱いものを選ばれた」(Ⅰコリント1章27節)

《3.神の儀を受ける》

最後に、人間の強さの源は、「義=正しさ』にあります。「義」は力です。正しさを確信している者は、心に恐れがありません。そして心に恐れのない者が、最も強いといえるのです。逆に、自分は正しいという確心のない者は、心に平安がなく、脆さを背負っています。
キリストが、ユダヤ人やローマ兵を恐れることなく、大胆にエルサレムに入城する事ができたのは、キリストの心に「神の義」があったからです。パウロやペテロが、死を恐れず伝道して回れたのは、心に「神の義」を受けていたからです。
私たちが、神の義を受ける方法、それは罪を悔い改め、心にキリストを迎え入れることです。へりくだって神の側に立つことが、私を最強にします。
「神にすがる者は弱者だ」と言われたなら、「その通り。しかし、自分の限界を認めたがゆえに、神に強くされた者だ」と答えてはどうでしょうか。