隠れた三六人

ユダヤのタルムードによれば、この世界は、日々神の心に接している敬虔な三六人の人々によって支えられているのだそうです。彼らは農民や職人といった庶民として目立たぬ生活を営んでいますが、彼らの隠れた誠実、正義、謙虚などの徳によって世界は保たれているというわけです。しかし、伝説によると、彼らは自分の存在を見破られると、そのとたんに消えてしまいます。つまり、隠れた所でしか善行ができない人々なのです。

実際、謙虚に正しく生き自分の使命を果たそうとしている人たちは、称賛されることを好まないようです。道徳や自己犠牲の模範のように宣伝されることは、謙虚な人には気恥ずかしくて耐えられないことなのでしょう。キリストが「人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい」「施しをするとき、右手のしていることを左の手に知られないようにしなさい」(マタイ6・1、3)と言われたのもうなずけます。

政治家の不正や無責任さ、国民の道徳的堕落だけを見ていると、よくこんな国がもっているなと思われるかもしれません。それでも存続するのは、こうした隠れた所で正しく良い行いをしている人たちが少なからずいるからなのです。

東北・関東大震災や原発事故でも、メディアには顔も名前も出ない人々が、いのちの危険を冒し、あるいは不眠不休で、自分の職務や使命を遂行しました。そのほかにも、存在も働きも知られないで、重要な役割を果たした人たちは多いことでしょう。

私たちは、そうした人たちに感謝すべきです。そして、私たちも「三六人衆」に似た役割を少しでも果たしたいと思います。自己宣伝、自己顕示、自己称賛する人には要注意ですが、とはいえ知られてしまうことに過度に神経質になる必要もないでしょう。ただ、人には知られずとも、神が知っておられれば平安だ、という信仰があればいいのです。「隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます」(同6・4)。