なぜ10分の1献金をしなければならないか

【問37】幸福はお金では変えないはずなのに、宗教に入ると必ず奉納金や祈祷料だと言ってお金を出させられます。教会でも10分の1献金がありますが、これはどう考えればいいのですか?

金儲けをするなら自分が教祖になって宗教を始めればいい、と言われるほどの上手な日本の宗教界にあって、ひとりキリスト教界だけは例外なようです。新興宗教などでは、病気の治癒、良縁、事業の成功のためや、将来起こるべき災いを取り除くために、祈祷料や厄払い料と称して高額のお金を要求したり、奉納料を強制したりします。「厄払いしなければ、不幸が続く」などと、心理的な脅迫をするところも少なくありません。
しかし、キリスト教会ではそのようなことはしません。ご安心ください。力は神にあるのであって、お金ではありません。神の力を引き出すのは信仰であって、お金ではないのです。捧げる金の多い少ないで御利益も異なるような宗教は、もはや神ではなく、金の力を信仰していると言えます。
さて、仰せの通り、教会では10分の1献金をします。それは自分で働いて得た収入の10分の1を、自発的に神に捧げる行為です。クリスチャンはこの献金に次のような積極的な意義を見出しています。

①《10分の1献金は人間として果たすべき尊い義務》

日本人は一般的に、自分で働いて得たものを自分の好きなように使って何が悪いと考えます。しかし、聖書に根ざした文化に育った人々は、必ずもそうは考えません。全ては労働を通して神が与えてくださったものであり、その10分の1は神に捧げるべきだ、と考えます。捧げると言うより、もともと神自身のものだから神にお返しし、神の聖なる目的のために使われるようにする、と言うべきでしょう。
この聖い献金によって、神の愛が広められていきます。これはおよそ人間が神に対して果たすべき義務の中でも、最も尊い義務の一つです。

②《10分の1献金は神への感謝の表明です》

献金は神の祝福を得ることが目的ではなく、既に神が祝福を与えてくださっていることに対する感謝の表現方法です。全ては神からの贈り物です。生命にしろ、衣食住にしろ、配偶者や家族にしろ、何一つとして自分がゼロから作り上げたものはありません。神が、1分でも与えることをストップされれば、人間は生きてはいけません。ですから喜びと感謝で、10分の1をお返しするのです。

③《10分の1献金は神への信頼の表明です》

10分の1を捧げることは、経済的には大変かもしれません。しかし、だからこそ神をどれだけ信頼しているかのバロメーターになります。神は、神の国と義とを第一に求めるものには、衣食住の必要を全て満たす、と約束なさっているからです。
多くのクリスチャンは、10分の1献金を始めることによって、心が豊かになったと語ります。
ある人にはつまずきに石ですが、ある人には飛躍に石です。

④《10分の1献金は神の心への応答です》

多くの人々が罪の中で滅びていく現実が、神の心を悲しませています。滅びようとする人々にも十字架の福音が届くことを、神は望んでおられます。10分の1献金を捧げることは、神のそうした心の痛みと願いを共にし、その愛に応答することです。その献金は、滅びゆく人々に、神の愛と十字架の救いを伝えるために用いられます。

⑤《10分の1献金は神からの祝福を受ける鍵です》

もちろん、献金は感謝を表すものですが、10分の1献金を捧げる結果として、神は祝福の約束をなさっています。
「10分の1をことごとく携えて来て・・・・・私の家の食物とせよ。こうして・・・・・私が天の窓を開き、あふれるばかりの祝福を注ぐかどうか試してみよ(マラキ書3章10節)。感謝をもって、自発的に、豊かに捧げる者は、霊的にも、経済的にも満たされるというのは、信仰の原則でもあります。
以上のような意味で、10分の1献金は自分の心を神に捧げることだといえるでしょう。