祈りは本当にこたえられるか

【問36】神が祈りに答えてくださった、などとよく言いますが、実際は、たとえば5つの祈りのうち答えられた1つの祈りだけを強調しているに過ぎないのではないですか。答えられないほうが多いのでは?

《1.祈りには力がある》

神が祈りに答えてくださるという約束は、「求めよ、さらば与えられん」(マタイの福音書7章7節)を始めとして、聖書の随所に語られています。もちろん「祈りには力がある」といっても、祈りそのものに霊的な、あるいは心理的な力があるというのではなく、祈りの対象である神に力があるのだということは、言うまでもありません。
祈りを通して力が働くことは、2000年に渡るクリスチャンたちの体験によっても、また学問的統計によっても証明されます。例えば、サンフランシスコ総合医療センターのバード医師の2年に渡る臨床統計によれば、クリスチャンから祈られている患者は、たとえ祈られていることを知らなくても、祈られていない患者よりも、よくなる確率が高いということです。(OCレジスター1989/2/11)

《2.答えられない祈りがある》

1と矛盾しているようですが、答えられないから「祈りには力がない」という結論になるわけではありません。答えられない祈りがあって当然であり、むしろすべての祈りが答えられるほうが不合理ですし、答えられないほうが最善の場合もあります。ましてや、好き勝手な祈りまでその通りになれば、大変なことになります。
答えられないのは聖書的な理由があってのことであり、「神が存在しない」「神に力がない」「神は愛ではない」ためではありません。その理由とは・・・

①不信仰・不従順(ヤコブ書1章6節7節)

キリストを主として認めない、心に疑いがある人の祈りは空しい。たとえば、聞かれたら信じてやろうと思っている人たちの祈り。

②告白されていない罪がある(詩篇66篇18節)

「もしも私の心に抱く不義があるなら、主は聞き入れてくださらない。」心に隠されている罪は、神との正常な霊の交信の妨げとなる。

③動機が不純である(ヤコブ書4章3節)

個人的な野望・快楽のための祈り。つまり神の愛や聖さや力や栄光が表されない祈りは聞き入れられない。

④本人の益にはならない

神は愛であるから、聖い心で祈るためにいつも最善をなされる。祈りの通りになることがかえって本人には害となる場合は、答えられないほうが最善となる。

⑤神の摂理・計画・意志に反する(ヨハネの手紙 第一5章14節15節)

「何事でも神のみ心にかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださる」しかし、神のみ心や創造(自然)の摂理に逆らう祈りは、たとえ人間の理屈には適ったとしても、成就することはない。
こうした理由で答えられない祈りのほうが、み心に適ってこたえられる祈りよりも多いとしても、不思議ではありません。もしそうなら、間違った祈りをしていることが多いというだけのことです。祈り方が問題なのであって、祈りの力そのものに問題があるわけではありません。正しい祈りは、力を発揮するのです。
(祈りは、もちろん神との対話であり、願い事をすることだけがその目的ではありませんが、ここではそのことだけに焦点を当てて答えました。)