福島訪問(3)

私が最初に「福島県は解体するだろう」と聞かされたのは、いわきの教会でした。予期せぬ言葉に驚きました。この発言を今回訪問した牧師たちに、ぶつけてみましたところ、「そんなことはない」と真っ向から否定した方はおられませんでした。しかし、福島に希望をもたない牧師もおられませんでした。福島に残った限り、それぞれの地域や立場で、将来を見据えておられました。

南相馬市では石黒實牧師夫妻の話を伺いました。人口7万だった同市は現在半分ほどになっています。若い人の就職先はなく、また放射能への恐れで、子どもや若い家族はほとんどが仙台などに移ったままです。もう戻っては来られないでしょう。原発事故時、5万人以上が一時避難しましたが、その後町に戻ってきたのは年金生活者たちなど中高年だそうです。放射能汚染で農牧水産業にも将来はありません。人の口に入る物を作っても、だれも買ってはくれません。

しかし石黒牧師は、南相馬には回帰現象が必ず起こると確信しておられました。どうすれば、町を活性化できるか。「人の口に入らないもの」で活路を開くほかありません。第一は、放射能を逆利用する道です。放射線の研究施設、その関連施設を建設することです。第二に、入居費用の安い老後施設、引退者ホームなどの町にすることです。放射能は年配者にはあまり影響は出ません。また福島県の浜通りは気候が温暖で雪は降らず、「東北の湘南」と呼ばれるそうです。第三は、相馬の「野馬追い」を観光資源して宣伝することです。こうして、いっそのこと放射能研究、中高年の町にして、中高年の落ち着いた文化を花開かせようというわけです。そして、教会は中高年に向けた伝道を目指すのです。

同じ南相馬に震災後に赴任したばかりの朴貞蓮(パク・ジョンヨン)牧師の教会も訪問しました。済州島出身の女性牧師です。強い意志で、町に残った人たち、特に教会付属の保育園の園児やその家族のために尽くそうとされていました。100人以上いた園児家庭の半数は引越しし、半分は避難中ですが、秋になれば20~30人は戻ってくるそうです。放射能そのものより、まず放射能への漠然とした恐れを取り除くことのほうが緊要だと考えておられました。