復唱する、覚える

私たちは一人ひとり、複数の聖書を持っていますが、聖書の書かれた時代には、聖書を所有している人は指導者や金持ちに限られていました。当時は印刷技術がないわけですから、手で写さなければなりません。しかも、聖書は聖なる神の言葉の書です。その聖書を書き写すには、その専門家が身を清め、厳密な規則に従って、一箇所も間違いがないようにしなければなりません。特に、神聖な四文字YHWH(神の名)を書くときは、ペンとインクを換えなければなりませんでした。1冊の聖書となると、相当の労力と時間がかかります。大量生産できません。庶民が聖書を手元に置いて読みたいときに読める代物ではなかったのです。

では、どうしたか。聞いて覚えるほかありませんでした。庶民にとって神の言葉は聞くものでした。安息日の会堂での聖書朗読や、ラビから教わるときなどに、しっかりと聞いて、それを何度も何度も復唱するのです。「これらの言葉を、あなたの心に刻みなさい」「あなたが家にすわっているときも、道を歩くときも、寝るときも、起きるときも、これを唱えなさい」(申命記6:4-9)。これが基本的な姿勢でした。

今日の私たちにとって、聖書とは目で読むものです。声に出して読むことも少なくなりました。聞いて覚えることはもちろん、読んで覚えることもあまりしないかもしれません。覚えなくても、いつでも聖書は開けます。その怠惰さから、ついには聖書を読むこともまれになる危険性があります。また、当然のことながら、古代の信仰者と比べれば、記憶力は格段に落ちていることでしょう。

短い箇所でいいので、聖書を声に出して何度も復唱することを始めませんか。エクレシアのDノートの暗唱聖句や、朝のみことば配信もご利用ください。小さな子供がいる方は、ぜひ暗唱聖句を一緒になさってください。継続して実行する人は、間違いなく記憶力も維持、回復できるでしょう。今年の終わりには、二つに分かれます。