ひたすらキリスト中心の教会を

教会は、ただキリストと聖書のみを土台とし、聖霊による信徒(牧師を含め)の交わりと一致によって建て上げられます。当然のことですが、キリストの栄光教会(GCC)は、牧師たちの能力や人格によって建て上げられている教会ではありません。
教会は牧師で決まるといわれます。しかし、GCCの牧会部が目指している教会は―――矛盾していることを承知でいうのですが―――牧師では決まらない教会、牧師に依存しない教会です。信徒がキリストのみに信頼し、聖書だけを土台とする教会、教会がキリストの教会であるがゆえに、「からし種」(マタイ13:31、32)のように自ずから成長していく教会です。その成長に信徒も一緒に参加し、働いて収穫した喜びを共に分かち合う教会です。教会が結ぶ実は牧師だけの醍醐味でありません。牧会部は、そういう教会を建て上げるために牧師として召されたと信じています。
もし教会が牧師の人格や能力に依存するなら、信徒が牧師を称賛する教会になるか、もしくは牧師につまずき批判する教会になります。牧師が立派であるがゆえに成長した教会はやがて衰えます。牧師次第で成長したり衰えたりするなら、それはキリストの教会ではなく、牧師の教会です。
牧師は権威主義にはなりません。名声を求めたり称賛を喜んだりしません。自分の弟子を作りません。信徒の方々も決して牧師の弟子にはならないでください。ただキリストの弟子になろうとしてください。もちろん牧師は、牧師の召命を受けた者として、キリストと聖書の権威を受けて語り、行動します。しかし、牧師個人には権威はありません。それをお互い間違えないようにしましょう。
GCCはキリスト中心の教会であって、牧師中心ではありません。教会の頭はキリストです。牧師はキリストに仕えるのみです。ただ、GCCの牧会部は3人いてやっとひとり分の牧師だとご理解ください。しかし、来年も、それぞれの働き、賜物、年齢、性、弱点に応じて、互いに補いあっていきます。