神の国の文化「愛」(6) 「愛は謙虚、礼儀」(Ⅰコリ13章)

4.愛は謙虚 「自慢せず、高慢になりません」
キリストの愛の偉大さは、神の御子でありながらへりくだり、「ご自分を無にして、仕える者」(ピリピ2:6)となられたことです。私たちは、自分の思うとおりに相手を変えたいと思いますが、それは高慢です。キリストでさえ、自分を下に置くことで、人が自分自身で変わりたいと願うように感化されました。聖書はこう教えています。「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい」(ピリ ピ2:3)。
謙虚は人を偉大にします。「自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われ」(2:8)たキリストを、神は「高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになられました」(2:9)。神の目に「一番偉大な者」とは、仕える人、へりくだる者である(マタイ23:11)ことを忘れないようにしましょう。しかし、別段へりくだろうと努力せずとも、自分のありのまま姿を素直に見る目さえあれば、普通は謙虚になります。
5.愛は礼儀を弁(ワキマ)える 「礼儀に反することをせず」
 愛は人の心の状態や事情を配慮します。人を不愉快にしたり怒らせたりするような言葉使いや行動はとりません。「すべての営みには時がある」(伝道者3:1)のです。その時と場所を考え、相手の立場を思いやり、相手の時間を大切にすることも礼儀です。また、はっきり言うべき時とそうでない時があります。いつもはっきり言えばいい訳ではありません。ここは日本です。外国人になる必要はありません。ユダヤ人の中には、相手とほとんど意見が同じでも、わざと反対の事を言ったり、小さな違いを見つけ議論を吹っかけて楽しむ人が多いと聞きました。しかし、やはりここは日本です。ユダヤ人になる必要はありません。
 礼儀を弁えた人は信頼されます。どんな場所や状況でも自分流の言葉や行動や服装を押し通す人は、子供染みています。人を不快にしない愛を学ぶべきです。