神の国の文化「愛」(11) 「耐えて、信じて、期待する」(Ⅰコリ13:7)

hope1)愛はすべてを我慢し、耐え忍ぶ
「耐え忍べ」というより、まず「神は私たちを忍耐してくださっている」ということを忘れてはなりません。自然法則なら、それに逆らえば即結果が出ます。しかし、道徳や霊的法則は破っても、すぐには結果は出ません。なぜか。神が忍耐しておられるからです。神はなぜ忍耐されるのか。それは私たちを悔い改めに導くためです。パウロはローマ書でこう語っています。「神の慈愛があなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と忍耐と寛容とを軽んじているのですか」(2:4)。
神は、私たちに悔い改める時間を与えるために、忍耐と寛容を示し、裁きを猶予しておられるのです。神の忍耐と寛容に慣れてはいけません。これくらいの罪なら大丈夫だろうと、神を試みてはなりません。神に寛容に扱われているうちに、悔い改めて神に立ち返りましょう。
2)愛はすべてを信じ期待する
また、こうも言えます。主なる神が私たちのことを忍耐され、私たちが今日も生かされているということは、主が私たちに何かを期待しておられるということです。主は私たちに期待しておられるから忍耐されるのです。
人があなたについてどんな否定的な評価を下そうとも、主はあなたに期待しておられます。他人の評価によって、あなたの人生を決めてはなりません。あなたの将来は、あなたを愛する主が決めておられます。卑屈になったり悲観的になったりしてはなりません。
主の愛はあなたをあきらめません。自分ではどうすることもできず、自分がいやになり、何もかも投げ出したいと思うときでも、主はあなたに立ちあがることを期待しておられます。あなたが自分自身に失望しても、主の御名にかけて、主は決してあなたをあきらめないのです。主は、主の御名によって、あなたを選び救われたからです。