1%の霊感

昨年末のNHK『歴史秘話ヒストリア あの名言にはウラがある!?』で、もう一つ紹介された名言は、トーマス・エジソンの「天才は1%のひらめきと99%の汗(努力)」(Genius is one percent inspiration and 99 percent perspiration.)でした。エジソンは努力の大切さを語ったのだと言われます。しかし、本人自身が後年、それを訂正しています。実際は、「1%のひらめきこそが重要で、ひらめきがなければ99%の努力は無意味である」と言いたかったのだそうです。すべての新しいことは1%のひらめきから始まり、99%の努力で成就するということです。
努力は、意志さえすればだれにでもできます。しかし、ひらめきは努力したから必ず与えられるものではありません。しかも、ひらめきは頭のいい人だけに与えられるのでもありません。ノーベル賞級の発明発見は、その分野で最も頭のいい人が達成するとは限らないことは、受賞者らの苦労話を聞いてもわかります。そのひとり利根川進氏は、「どこの研究室にも、自分よりもはるかに頭のいい学者がいっぱいいた。しかし、知識がぎっしり詰まっている頭脳がひらめくわけではない。むしろ隙間があるほうがひらめきやすい」というようなことを語っています。
私たちクリスチャンにとって、「心を尽くし、思いを尽くし、知恵を尽くして」努力することは大切です。しかし、聖霊によるひらめき(これぞinspiration)がなければ、人間の努力はときに的外れ、徒労に終わってしまいます。霊を研ぎ澄ませましょう。聖霊によるひらめきは、みことばを学び、みことばで思いを巡らすことで与えられます。祈りや賛美の中で与えられます。クリスチャン同士で話をしているときや、悲しみを体験したときなどにも受けるでしょう。「からし種」ほどのひらめきから「神の国」の偉大なわざが始まります。ひらめいたら、あとは信仰と努力です。信仰と努力なしには「かたち」になりません。