ポスト・トゥルースPost-Truth

昨年、イギリスやアメリカで流行語になったことばに、ポスト・トゥルース(直訳は真実以降)があります。「客観的な事実が重視されず、感情的な訴えが政治的に影響を与える状況」を意味します。「全く事実の裏づけのない言説」が、ネットなどで拡散していき、あたかも事実であるかのように受け取られ、それが大衆の感情を煽り、政治的判断、選挙に大きな影響を与えてしまうという現象です。それは、イギリスではEU離脱を問う選挙において、アメリカでは大統領選において、顕著になりました。国民の多くが、社会に対する不満や、ある種の嫌悪感、不快感をかきたてられて、客観的な事実確認に基づいて冷静に判断するということができなくなったといわれます。
しかし、ネットの世界では、とっくの昔にポスト・トゥルースの時代に入っています。ネットでは、個人が情報や意見の発信源になりますが、事実確認や裏付けのない話が数限りなく飛び交っています。まるで大きな声でまことしやかに言った者勝ちであるかのような様相さえ呈しています。ネットへの書き込みは、まず疑ってかかったほうがいいですし、平気で個人を名指しで攻撃、批判する文を載せるような人は、その人格も疑うべきでしょう。
それはキリスト教のネット社会でも同じです。教会や牧師やクリスチャンがネットに書いている内容や情報が、すべて正しいとは限りません。中には、異端、歪んだ教え、曲がった説、事実誤認、中傷もあります。著名な人だから、学歴がある人だから、学者だから、ということで信頼するのも危険です。単に、私の気に入ることを言ってくれるからとか、フィーリングが合うから信じるというのも危ないことです。
 惑わされないためには、聖書をそのままに学んでいくほかありません。GCCの立場は、「私たちは正しい」ではなく、「ただ聖書だけが正しい」というものです。常にそこから始め、そこに戻っていきます。GCCが聖書の学びに力を入れるゆえんです。