光、風、水、火、岩、魚、パン・・

光、風、水、火、土、(チリ)魚、岩、泉、山、川、パン、蜜、ぶどう・・・これら一つ一つの言葉を聞いて、あなたは何を思い浮かべますか。
「光」について、太陽の光やLEDの光や「波であると同時に粒子である」という物理学の知識が思い浮かぶかもしれません。しかし、聖書は「まことの光」であるイエス・キリストを教えます。この光を知らなければ、心の中の闇は消えません。
「風」について、今なら北風、春一番、春風を思うかもしれません。聖書では、「風」は、神のいのちの息、神の霊、聖霊を意味します。新しいいのちを生み出すかぜです。
「水」ならば、水道水、鉱泉水でしょうか。しかし、H2Oだけが水なのではありません。聖書は、人の心に泉が生まれて、こんこんと湧き出でる「永遠のいのちへの水」があることを教えます。キリストが与えてくださること渇くことのない水です(ヨハネ4:14)。
「火」は、聖書では、聖霊であり、私たちの心を燃え上がらせ、人にはできないことをなさせる力となります。と同時に、焼き尽くす「さばきの炎」でもあります。
 「パン」と聞いて、ただ小麦粉をこねて焼いた食べ物のことしか思い浮かばない人は、胃袋だけでなく、心も飢えていることでしょう。聖書では、「パン」は人のたましいを養う神のことばです。そして、キリストはいのちのパンです。「蜜」は甘いみことばです。
 「魚」は、「イエス・キリスト、神の御子、救い主」です。「岩」は、砦なるキリスト、礎の石なるキリスト、つまずきの石キリストです。「泉」は主の恵み、祝福の源です。
聖書はこのように、日常生活で見、聞き、触れ、味わうさまざまなもので、霊的な世界を描いています。ありふれたことばが、豊かな意味をもって、心に迫ります。聖書を知らなければ、平板でつまらない単語で終わってしまったことでしょう。
ところで、人間は、「土」で造られました。死ねば「土」に戻る空しい生き物です。しかし、神に似せて、神のかたちにかたどられ、神の息を吹き込まれ、神の慈しみを一身に受ける「土の器」です。しかも、この「土の器」の中に、キリストという宝を入れているのです(Ⅱコリ 4:7 )。尊い器です。