暑い夏も泉から水を飲む

教会の行き帰りは、空堀川の遊歩道を利用しています。空堀川は一応、川ですから、水が流れていてもよさそうなものですが、まさに空堀で、雨の降らない時期はきれいに干上がっています。川の香や風情は、私にはほとんど感じられません。それが、先週のゲリラ豪雨で上流?は氾濫し、私が歩くコースも橋桁すぐ近くにまで濁流が迫りました。テレビやネットのニュースで映像が流れるほどでした。
 ところで、私の郷里綾部には由良川という一級河川が流れ、若狭湾に注ぎ込んでいます。この由良川は、当時の中学校地理の教科書に、河況係数が世界一にランクされていました。河況係数とは、河川の年間の最大流量と最小流量の比のことです。由良川はその数値が、1万を超えていました。つまり、最大流量が最小流量の一万倍以上だったということです。1953年、台風13号の洪水で、谷間の村が湖になったという記念碑が建てられています。
 でも、空堀川にはかないません。何しろ、最小流量がゼロですから、河況係数は1万どころか、∞(無限大)になってしまうのです。
 そんな空堀川も、3日もたてば、水はアッという間に流れ去り、元の「空堀」に戻ってしまいます。なぜか。水源がないからです。お隣の町東久留米には、黒目川と落合川という小さな川が流れています。しかし、一年を通じて干上がることはありません。なぜか。いくつかの泉を水源にしているからです。泉なので、飲めそうな澄んだ清らかな水です。
 さて、信仰生活にも、いのちの泉、恵みの泉がなくてはなりません。自分の勢いで燃え上がっても、すごいことが起こりそうでも、主の泉がなければ、時間とともに何事もなかったように消えてしまいます。
 8月、教会は夏休みモードに入ります。しかし、「その水源はかれ、その泉は干上がる」(ホセ 13:15)ということにならないように、御言葉の学び、祈りを継続してください(HOP、Dノートは休みません)。「主は泉を谷に送り、山々の間を流れさせ」、渇きを癒してくださいます(詩104:10-11)。「裸の丘に川を開き、平地に泉を湧かせる。荒野を水のある沢とし、砂漠の地を水の源とする」「あなたがたは喜びながら救いの泉から水を汲む」(イザ 41:18、12:3 )と約束に立ち続けましょう。
(ひとこと:空堀川は、大雨の水を逃がすという重要な役割を果たしています)