闇が安息と力の回復をもたらす

「地は茫漠として何もなかった。闇が大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた」(創世記1:2)。
神が天と地を創造され、最初にあったのは闇と水でした。
神は闇をも創造されます(イザヤ45:7)。闇が世界の始まりです(一日の始まりも夕であって、朝ではありません)。それゆえ、必ずしも闇イコール悪というわけではありません。
闇はまだ光のない状態です。その茫漠として形のない闇の状態から、父、御子、御霊(神の霊)が秩序ある世界に造り上げられます。神の国が、闇から形をとって現れていくのです。そして光が創造され、すべてのいのちを育むようになります。
しかし、闇にも意味があり、有益なことがあります。
 真っ暗闇の中では、人は何もできません。見えないことは確かに不安や恐怖を引き起こしますが、主の臨在の中で落ち着けば、闇は主と最も深く出会うときになります。光の中で肉の目が見えていると、その刺激で心も見えるものに反応し、自分で働こうとします。しかし、見えないと心は受動的になります。そのように心が受け身態勢になったときこそ、聖霊の働きが最も心に入り込みやすい時間なのです。人の理屈や感情の抵抗が抑えられるからです。御言葉が魂に浸透していきます。主の取り扱いが始まります。癒しと回復のときです。
ところで、みなさんは最近深い眠りを得ておられますか。睡眠が5時間以下だと心身の健康を害し、寿命を縮めるのだそうです。NHKテレビでの実験です。睡眠時間5時間未満、何時に寝ても朝6時には目が覚めるという男性が、光(おそらく音も)を100%遮断した真っ暗な部屋で寝たら、昼前になっても起きてきませんでした。
 五感の刺激を極力なくした時間を過ごすのは、体にも魂にも必要なことです。夜は夜らしく、光と音を遮断してみてください。人が闇の中で休息している間に、主が休まず働いていてくださいます。「見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない」(詩 121:4)のです。
 一日は日没から始まります。それが聖書の一日です。夜の休息の後、朝が来て、光の中での活動が始まります。光はもちろんのこと、闇も主が与えてくださった恵みです。信仰で有益に使いこなしましょう。