老いることは誉

先月末の土日は、新潟県加茂市の加茂福音キリスト教会(30代の神山牧師が牧会)で、2回の聖会メッセージの奉仕でした。テーマは「神の国」です。
 礼拝後の昼食時は、信徒の方々から私のメッセージへの感想や質問がなされました。その中で、70歳ぐらいと思われる盲目の男性の発言がありました。
 「私は、教会でお役に立てない者ですが、今回のメッセージで語られたペテロの行動に力づけられました。自分にもできることから始めたいと思います」と、私が語ったメッセージのポイントを幾つか復唱して、思いを述べられたのです。もちろん、メモをとっておられたわけではありません。暗誦です。その記憶力の良さに驚かされました。おそらく、耳で聞くことに集中し、自分の言葉で心にとどめられたのだと思います。あとで、教会の方にお聞きすると、「あの方の発言は重みがあって、一目置かれているんですよ」とのことでした。
 私は日頃、いかに集中して聞いていないか、メモをとったら安心して、心に刻もうとしていないことを思い知らされました。
 翌月曜日は、小諸の施設に長谷川弘子さんを尋ねました。車椅子から笑顔で迎えてくださいました。96歳です。普段は軽井沢の長女家族と同居しておられ、そこには曽孫が3人います。「私は気が荒い性格だったのですけれど、曽孫たちに親しくしてほしいと思って、この性格を変えて穏やかにしてくださいとイエス様に祈ったら、本当に変わってしまったんです」と、嬉しそうに話されました。施設では、自分の娘ほどの年齢の入居者の愚痴を聞いてあげたり、イエス様のことを話したりしておられるようで、その人を呼んで、「牧師が来たんですよ」と引き合わせてくださいました。
 90歳過ぎてから性格が変えられるように祈って、変えられるのなら、60過ぎならまだまだと励まされ、「私も変えてください」と祈ったことでした。
 老いることを恐れてはなりません。「白髪は光栄の冠」(箴言16:31)です。「たとえ外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています」(Ⅱコリ4:16)。ここぞというときには、目をつむり、集中して御言葉を聞き、ノートではなく心に刻むといいですよ。