建設的パラノイア

「私がニューギニア人から学んだもののうちで、建設的なパラノイア(被害妄想)ほど心に残ったものはない」(J.ダイアモンド『昨日までの世界』日経ビジネス文庫)。
ダイアモンドが人類生態学の調査で、ニューギニア人の助手と森の中に入り、巨木の脇にテントを張ろうとしたとき、助手が強硬に反対しました。「巨木が倒れ、我々は下敷きになって死ぬかもしれない」というのです。ダイアモンドが、「この巨木の幹は腐ってはおらずしっかりしている。風も吹いていない。大丈夫だ」と説得しても、怯え切ったニューギニア人には無駄でした。このパラノイアはニューギニアでは一般的なのだそうです。
しかし、確率的に計算してみるとこうなります。彼らは年に100回ほど野営する。40年の人生で4000回になる。1000回に1回しか起こらないことでも、年100回行えば、10年以内に死ぬ確率は高い。実際、森からは毎日のように木が倒れる音がする、と。
被害が起こる確率が低くても、その行為を頻繁に行うのであれば、被害が起こる確率は高くなる、ということです。大丈夫だろうと、不用意に繰り返すならいつか痛い目に遭います。ニューギニア人は、めったに起こらないことでも、リスクを冒すことを大げさなほどに避けることで、森の生活の安全を守っているのです。
さて、厚生労働省によると、日本のインフルエンザ感染者数は年間1000万人、死亡数は1000人ほどだそうです。そのシーズンを迎えます。12人に一人がかかります。12人に11人はかからないと言って、無意味にリスクを冒すのは愚かです。石鹸・消毒手洗い、マスク、うがいをし、無防備で不必要な外出、過労は避けましょう。感染中は礼拝に出られなくなります。今冬、建設的なパラノイアになりましょう。
信仰によるチャレンジと無謀とは別物です。確かに信仰はリスクを冒します。リスクを背負わないと達成できないことがあります。しかし、リスクを負う価値があるか、見極める必要があります。どうでもよいことに、リスクを負う愚かさは避けなければなりません。
信仰のチャレンジと建設的パラノイアは矛盾しません。