何が動機になっているか

何が動機か、何が目的かで、事態は異なる結末を迎えます。
 中国秦の時代、始皇帝が死ぬと、各地で反乱が起こりました。反乱軍の中心は将軍項羽でした。項羽は鉅(きょ)鹿(ろく)の戦いで、兵力20倍の秦軍を打ち破り、勢力を拡大していきました。しかし、降伏した秦の兵士20万人を生き埋めにしたり、秦の都咸陽に入城したときには秦の財宝を略奪したりで、人心を離れさせました。
反乱軍の中に劉邦という人物がいました。彼は武勇に秀でてはいませんでしたが、投降してきた秦の兵士を殺さず、自分の配下に入れて用いました。項羽よりも先に咸陽に入りましたが、部下に略奪は許さず、人心の掌握に努めました。
秦が滅亡したあと、どちらが新しい王朝を建てたか。劉邦(漢の太祖)でした。項羽は武力に優れ、劉邦は政治力に優れていたいたと言えます。しかし、二人を勝者と敗者に分けた大きな要因は、秦と戦った動機にあったと思います。
項羽には、故国の楚を秦の始皇帝に滅ぼされた恨みがありました。その恨みを晴らすという復讐心が原動力になっていたのです。それゆえ、秦の兵士に対して情け容赦がありませんでした。秦を滅ぼすこと自体が目的であり、その先の構想はありませんでした。一方劉邦は、項羽ほどには秦に対する復讐心はありませんでした。むしろ、秦滅亡後の国家建設のことを考えていたのです。
さて、創世記の学びも「ヨセフ物語」のクライマックスに来ました。ヨセフは自分の正体を明かさず、自分を奴隷に売った兄たちを試します。目的は、兄たちに復讐を遂げるためではありません。彼らを赦し、イスラエルの一族をエジプトで守り、アブラハム契約の「大いなる国民となる」という約束が成就されるためです。ヨセフは未来を見ていたのです(50章)。
もしヨセフが兄たちへの恨みを晴らすことを目的にして、20年を耐え忍んできたのであれば、「ヨセフ物語」は単なる復讐劇に終わっていたことでしょう。しかし、主がヨセフの奴隷生活に介入し、共にいてくださり、ヨセフも主に忠実に歩んだことで、アブラハム契約が実現していくのです。
あなたは何を動機にして行動していますか。今だけでなく、将来を見据えていますか。