危機感のなさが危機

日本が技術立国と言われたのも、「今は昔」のことです。特にIT関連の事業の遅れは20年と言われます。1月のNHKで、企業のイノーベーション(刷新)の遅れに関する『座談会』が放映されました。その中の発言を列挙してみます。
 「日本の企業は、構造上リスクが取れない。急速に変化する世界についていけない。何もしないことが、リスクを高めている」。つまり、危機感がないことが危機だというのです。
 「日本はハイパームラ(村)社会。社内の和を乱すと言って、言いたいことが言えない。」失敗を恐れて、斬新なアイデアも潰し、結局何もしないことになります。
 「幸せ過ぎてハングリーではなくなり、この程度でいいと思ってしまう」。2009年に蓮舫氏の「2位じゃダメなんですか」発言がありました。しかし、今や日本の世界競争力は2位どころか9位に、起業しやすさなどは127位にまで落ちました。「2位でもいい」とは「2位を目指すのではなく、この程度でいい」という意味です。
 この傾向は日本の教会にも及んでいます。慎重になり過ぎ、失敗を恐れてか、リスクを覚悟してチャレンジすることが減り、社会の現実に即さないまま置いて行かれています。平和で何となく幸せで、「この程度でもいい」「仕方がないのだ」という空気が漂い、なれ合いになっているところもあります。
 GCCは設立以来15年、「専ら祈りと御言葉の奉仕に励む」(使徒7:4)ことを掲げてきました。それが文化となり、いわば教会のインフラ(下部構造)となってきました。これからは「上部構造」を立て上げていく時です。ある程度リスクを冒し、新しいことにチャレンジすべきだと思います。でなければ、時代の空気に流されます。
『座談会』では、人口の多い「中高年に光を」という発言もありました。若い人に任せて逃げるという時代は終った、というのです。中高年こそ頭を柔軟にすれば、豊富な知識や体験を用いて、新しい働きをすることができます。世の企業は生き残るためのイノベーションに必死です。教会は主の栄光のためにするのですから、なおさらではありませんか。ワクワクするようなことを始める時です。