少数派で実を結ぶ

日本人は大民族なので、少数派の発想や感情を理解するのが得意ではないと言われます。「多数派の意見」「時代の大きな流れ」に乗っていることに安心を見出すようです。
それゆえ、「世界の趨勢(スウセイ)」や「世の大勢」「グローバリズム」といった言葉に弱いのです。「脳死が人の死、死刑制度廃止、LGBT容認、グローバリズム、新自由主義…は世界の趨勢である」などと言われると、そう信じがちになります。
簡単にいえば、「みんなの意見だよ、だから正しいんだよ」「みんなそうしているよ。だからあなたもそうしなきゃ」ということです(民主主義が全体主義と紙一重に)。自分で調べ、考え、判断するより、大勢に任せた方が楽で安全と思ってしまうのです。
そんな社会にあっては、正しいものは正しい、間違っているものは間違っていると言うのは勇気がいります。少数派になることが怖いからです。少数派は、学校でも職場や地域でも、イジメ(迫害)に会いやすい立場です。
明治の初め、日本は、いわゆる世界の大勢になりつつあった西欧の社会制度、文化、習慣を取り入れ始めました。進化論もすんなりと受け入れました。しかし、キリスト教を受け入れたのは一部の人たちに限られました。そして、今も、少数派です。
しかし、聖書では、良きものは少数派から生まれます。古代、イスラエルは「少数派の苦悩」の中で、聖書、キリスト、教会を世界に送りだしました。今も、反ユダヤ主義が世界の趨勢の中で、実は「良きもの」を送り出しています。また、教会も多数派の迫害の中で、少数派から始まりました。世の趨勢に巻き込まれて堕落しても、その中の少数派からまた「良きもの」が生まれ出ました。正しい少数派こそ、やがて世を救います。
正しい少数派とは何か。①キリストの恵みに立ち続ける者たち、そのために②御言葉の学びと祈りに専念する者たち、③良い実を結ぶ者たちです。それは実で分かります。
正しい少数派は「一粒の麦」の役割を果たします。「一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます」(ヨハネ12:24)。