嘘でも繰り返すうちに

「嘘でも繰り返すうちに真実になっていく」。
トランプ大統領がこの手法を使っていると批判されますが、トランプ大統領に限らず、昔からのことです。日本でも、太平洋戦争中の教育や「大本営発表」、今日の国会での答弁までもが利用しています。もちろん新聞・テレビの報道や解説番組(池上彰も)もそうです。民間の健康法や治療法も人々の話題に頻繁にのぼるうちに真実になってしまったものもあります。ネット上でも虚偽や根拠のない批判が広まれば、本当のように受け取られます。反イスラエル、反ユダヤの報道などはその最たるものです。
もとは、ナチスのヨーゼフ・ケッベルスの「大きな嘘でも頻繁に繰り返せば、人々は最後にはその嘘を信じるだろう」という言葉に行き着きます。もちろんヒトラーもその手法を用いました。
小松秀樹氏が著書『医療崩壊』の中でこう述べています。「記者が、責任の明らかでない言説を反復しているうちに、マスコミ通念が形成される。これが『世論』として金科玉条になる。この段階で反対意見を出そうとしても、メディアは取り上げようとはしない。」「記者は詳しく調査することも、反対意見を吟味することもなく、また反対意見が存在することを示すことすらせず、同じような報道を繰り返す」。新聞、雑誌は裏付けのない先行記事を引用し、さらにそれが孫引きされ、結局、誰もその記事の責任をとらないまま、事実のようになってしまうわけです。
聖書についても同じことが言えます。「聖書は神話だ。非科学的だ」「神は存在しない」という言説を繰り返し聞いているうちに、そう信じ込んでしまう人が多いのです。聖書を読んだこともないのに、です。
聖書は千数百年にわたって、その真実性が繰り返し攻撃され、批判され、「20世紀には誰も信じなくなる」とまで言われました。しかし、そうした「火の精錬」をくぐって、神のことばは、かなかすが除かれた銀や金のように今日も輝いているのです。
虚偽は「火の精錬」をくぐれば必ず暴かれます。どんな根強いウソも、最後には明らかにされます。しかし、聖書の言葉は「火の精錬」をくぐることで、ますます真実に磨きがかかります。