私たちは世界を祝福しているか

「世界中のすべての人が私と同じような生き方をするなら、世界は今よりも良くなるだろうか」と、自問してみてください。
 もし、少しでも良くなると思えるなら、あなたは世界を祝福しています。しかし、とてもそうは思えないなら、世界を呪っているのです。
 「モーセの十戒」に従うことを喜ぶ人は、従いが不完全であっても、世界を祝福しています。破っても平気な人は、世界を呪っています。父母を敬わない人、不倫する人、盗む人、嘘をつく人・・・そんな人ばかりになれば、世界はどうなるか考えなくてもわかります。ただし、人に対し「こうでなければならない、ああすべきだ」と批判がましい律法主義的な人も、世界を破壊しています。考えてみればわかります。
 交通規則を常習的に破っている自動車・自転車の運転者は、社会が滅んでもいいと思っているのです。守る人は、社会を滅びから守っています。雑踏でスマホ歩きをする人は、みんなが自分のようにすれば、どうなってしまうか考えたことはないでしょう。
 ゴミをポイ捨てする人たちは、世界中がゴミに満ち、自然が滅んでもいいと思っている人たちです。ごみを分別し、きちんと所定の所に捨てている人は、それだけでも自然を滅びから守っています。
 人類はまだ滅んではいません。それは、世界を呪っている人たちよりも、世界を祝福している人の方がまだ多いからです。自分勝手なことをしている人たちは、世界を祝福する人たちに依存しています。でなければ、自分勝手なことができなくなるからです。そういう人たちは悪質な「依存症」患者です。こうした「世界中の人が私のようになれば、世界はどうなってしまうか」と想像したこともない人たちが、世界を滅びに導いていきます。
クリスチャンがこの世に置かれているのは、世界を滅びから守るためです。主の恵みに満ち足りているので、自己中心的な行動をしなくても、幸せになれることを示すためです。
それが今日の宣教テーマ「私たちと主に倣う者」(Iテサロ1:6)です。