蓄えない

私たちが三食を適度にとった上に、デザートやおやつを食べると、そのカロリーは消費しきれず、体内に蓄積されます。人間の体は、万が一の飢餓の時に備えて、余ったエネルギーは排出せずに、内部に素早く蓄積する仕組みを備えているのです。
 例えば、200gのイチゴのショートケーキを食べると、500カロリーを摂取したことになります。しかし、200gの体重が増えるわけでありません。そのうち半分がカロリーのない水分で、水分は汗、尿、呼気として体内から消え去ります。しかし、残り100g分の500カロリーは、水泳なら1時間、ジョギングなら10kmは走らないと消費できないのです。ショートケーキ1個のために、10kmジョギングする気力と時間がありますか。私はいつも商品のカロリー表示を見、覚悟して食べるようにしています。6、7kmなら毎日、速足で歩けます(福岡伸一『動的平衡』小学館新書参照)。
 出エジプト記16章に、主が、荒野の旅にあるイスラエル人に日々の食物として、マナを降らせてくださったという記事が出てきます。主は、毎朝「それぞれ必要な分」だけ集めるように指示され、イスラエル人も「多く集めた者も余ることなく、少なく集めた者も足りないことなく、それぞれが必要な分を集めた」とあります。指導者 モーセは、「それを翌朝まで残しておいてはならない」と命じていましたが、中には聞き従わず、翌朝まで残しておいて腐らせる者がいて、モーセを怒らせました。マナはその日その日分だけを集めるだけで、蓄えることはできない食物だったのです。
 日々、主に信頼して生きることを教えている出来事ですが、同時に、「必要も目的もないものは蓄えてはならない」という警告でもあります。この時、イスラエル人はみんな同じ体形をしていたことでしょうし、貧富の差もなかったことでしょう。
 イスラエル人が「約束の地」カナンに定住してからは、マナは降らなくなりましたが、主は、民の間に貧富の差、身分の差、体重さが生じないような土地制度を定められました。イスラエルの社会がおかしくなったのは、民が主に逆らい、この土地制度を失ってからです。つまり、「必要も目的もないもの」を蓄えるようになったのです。