誕生日の葉書

毎年、誕生日になると、自筆の葉書をくださる牧師がおられます。もう20年は続いていると思います。今年はこんな内容でした。  「〇〇(町)の片すみでフーフーいいつつ伝道中。18歳で救われ、19歳で(牧師に)召され、30歳で開拓命令。中卒のみの男が77歳の今日まで生かされ、ちょっぴりですが、伝道させてもらえて奇跡と思っているんです。  〇〇教団の中には多くの献身者がいましたが、欠けの多い者は私くらいです。イエスさまが、ゴミみたいな、肥溜めみたいな、汚れた者を拾い上げてくださいましたことが、人生最高の宝と思い、感謝している毎日です。・・・・略・・・・ありがとうございます。これからもよろしく。福音のためご尽力、ご活躍を期待しています。  4月1日、年度最初の素晴らしい日に、お誕生日、おめでとうございます。カレンダーに印して、生涯祈ります」。 私より一回り年上、牧会歴も30年長い牧師です。 この方のへりくだりは、口先ではなく本物であることを、私は若い時から見てきました。毎年開催されていた宣教大会で、同年代の牧師たちが熱く説教を語る講壇の背後で、みずから進んで隠れた奉仕をなさっていました。彼らのような賜物のない自分には、裏方として仕えることが主から受けた役目です、と語られたのを覚えています。実際、講師陣の名前が躍るプログラムに、この方の名はなかったと思います。 ところで、30年たった今、講師の方々が語られたことは何一つ、私の記憶には残っていません。しかし、エプロン姿で動き回っておられたこの牧師の姿だけは、今も目に焼き付いています。御言葉は、誰が語ったかは記憶に残りませんが、誰が行ったかは残るようです。 お会いする機会はほとんどなくなっていましたが、この方にずっと祈られてきたのだと思うと、なんだか胸が熱くなります。そして、「生涯祈ります」などと言われると、まだ続けられそうな気になってきます。