負の感情を蓄積させない

「イスラエルの刑務所に取材に行ったが、ハマス、の独房にいる人々(ガザのテロリスト)から発せられる非常な怒りと憎しみの空気は、今も忘れられない。もはや通常の人間を超えた何かに、完全に支配されているような感じであった」と、石堂ゆみ氏が『オリーブ山便り』に書いておられます。  そこまでひどくはなくとも、私たちも罪の性質を持つがゆえに、同じようになってしまう素地はあります。人から正当に評価されなかった。侮辱された。拒絶された。差別された。理不尽な扱いをされた。人格を否定された・・・といった負の体験が積み重なるうちに、鬱屈とした思い、怒りや憎しみが心に沈殿し、固まって石のようになってしまうのです。 そこから、誰かに対し復讐してやりたい、自分の正義を見せつけたい、打ち負かしたいという敵愾心が募っていきます。 怖いのは、そういう心を育んでいることに、自分でも気が付かないことです。気が付かないどころか、自分こそは真理を握り正義に立っている、という歪んだ確信を持つに至ります。視野が狭くなって、人の意見を聞きません。同調する人だけを仲間にし、そうでない人は遠ざけ、敵にしてしまいます。 もし誰かに対して、憐れみ・慈しみよりも、敵意や憎しみや批判的な熱情が高まったら、まずとにかく、心に冷水をかぶりましょう。そして、心の奥底に妬み、怒り、憎しみが潜んでいないか、それに突き動かされていないか、謙虚に探っていくのです。この謙虚ささえあれば、あとは聖霊が私たちのうちに自由に働いて、怒りや憎しみの一つ一つを取り除いてくださいます。 階段には踊り場があります。それは立ち止まって、冷静になるためです。私たちの心にも「踊り場」を設けましょう。静まって祈るためです。そうすれば転がり落ちることがなくなります。