虫の秘話

オランダで、250人のボランティアがオランダ中を車で回り、フロントグラスやフロントグリル(網)に当たって死んでいる虫の数を数えたところ、人類全体で、年間1兆匹を殺しているという計算になったそうです(バイロン・リース『人類の歴史とAIの未来』)。電車などにぶつかって死ぬ虫を加えれば、それ以上の数です。 虫の世界からすれば、車は自分たちを殺すために造られた巨大な恐るべき機械に見えることでしょう。しかも、反撃しようがありません。もちろん、人間は虫を殺す意図で車や電車を走らせているわけではありませんが、それにしても死ぬ虫の数は膨大です。しかし、人間自身は、そんな虫のことは全く気に留めていません。 人類にも、それに似た恐ろしいことが起こる可能性があります。人類がAIによって、虫と同じように惨い仕打ちに合う日が来るかもしれないというのです。AIは物理的力、情報力、計算力、記憶力、解決能力において、人間を圧倒しています。ところが、AIには意思や感情や目的というものがないので、人類をただ機械的に、効率第一に扱います。人類に何が起ころうが関係ないという態度をとります。 今世界では、AIに関して悲観的な立場と、楽観的な立場の間で、議論が繰り広げられています。私自身は、AIが正しく管理され、人類の安寧に貢献することを願います。でも、AIを造ったのは罪人である人間です。人間は、すべての技術を戦いや殺戮のために使ってきました。この時代になって突然、人類が悔い改め、民族を越え、利害や憎悪を越えて一つになり、AIに慈しみと善意だけをプログラムするとは、とても思えないのです。なので、AIについても悲観的にならざるを得ません。 人間は「神のかたち」に造られました。神に似た性質を宿しており、キリストの心をもっています。人間がAIを圧倒するものがあるとすれば、それは「キリストの心」だけだと信じます。キリストのように慈しみ、互いに徳を高め合うことです。決して無頓着、思考停止にならないこと、人間らしさを失わないことです。