AIは心を持つようになるのか

AIは意識(意思、心)を持つようになるか。 意見は、学者たちの間で意見は二つに分かれています。  S.ホーキングは、AIはディープラーニングで自ら進化する可能性があり、自分自身の意思を持つようになって、人間の意思と対立するようになるだろう、と言っています(『ビッグ・クエスチョン』)。『ホモ・デウス』の著者ユヴァル・ノア・ハラリや、ビル・ゲイツなどもその立場です。  一方、AIの権威アンドリュー・エンや、フェイス・ブックの創始者マーク・ザッカーバーグなどは、それを真っ向から否定します。「東ロボ君」(東大に合格するAI)の開発プロジェクトを主導した新井紀子氏などは、AIと言えどもコンピュータであり、コンピュータとは所詮、計算機であって、AIが意思を持つことはあり得ない、と述べています(『AIvs教科書が読めない子供たち』)。  バイロン・リースは、このように意見が大きく食い違うのは、根本的に「信じていることが違うためである」と言います(『The Fourth Age』)。意識を持つAIが実現すると主張する人たちは、「人間は機械だ」と信じており、反対の立場の人は「人間は機械だ」とは考えていないのです。新井氏によれば、総じて、AIについて論じるだけの人たちは前者、AIそのものを研究している人たちは後者のようです。  ところで、西欧にはもともと人間を機械とみなす思想があります(18世紀フランスの哲学者ラ・メトリー『人間機械論』)。体だけでなく、意思や感情なども脳の中で起こる生化学反応としてとらえます。つまり、心も、物質の引き起こす現象とするのです。AIが意思を持つようになると考える人たちは、その流れを汲む人たちです。  もちろん聖書は人間を機械のようには扱いません。人間は本来、霊的な生き物であり、霊である神と交わることができます。AIはすでに知識(情報)の蓄積、計算、処理能力において、人間をはるかに超えていますが、今後さらに進歩し、意識を持っているかのように振舞ったとしても、ただの機械です。 人間は創造主に愛され、交わることができるという地位を、AIに凌駕されることはありません。それゆえ、主と交わることが、人間が尊厳を守る唯一の道なのです。