お金で買える愛って?

午堂登紀雄という資産家が、「愛はお金で買える」という議論を展開しています。お見合いサイトや結婚相談所で人気なのは、学歴や容姿のいい人ではなく、年収の高い男性だ。中国や東南アジアでも、収入の多い男性から結婚できるという現象がある。「収入が多い人=能力が高い人=生き残る力がある人」と考えれば、そんな人の子孫を残したいと女性が考えるのは、生存本能として当然だ、と牛堂氏は唱えます。  そして、「それは本当の愛ではない」「お金で愛は買えない」というのは、稼げない自分を正当化するための言い訳や嫉妬にすぎない、貧しい人間が金持ちより優位に立ち、自尊心を維持するための詭弁である、と一蹴します。お金を稼ぐことも家族への貢献と考えれば、愛とお金は対立概念ではなく、同義語である…と言うのです。  しかし午堂氏の論理こそ、真の愛を知らない者の詭弁、本物の愛で愛されたことのない人の嫉妬です。お金の欲望を肯定し、お金で自分の存在価値と尊厳を誇ることを正当化しているに過ぎません。「金銭の欲が諸悪の根源」(Iテモテ6:10)です。 午堂氏のいう愛なら、確かにお金で買えるでしょう。しかし私たちは、そもそもお金で買えるような愛を愛とは呼びません。子孫を残すための異性選びという進化論的視点で語る愛は、単なる自己保存本能です。残念ながら「偽りの愛でもいい、お金が欲しい」という人が多いのです。本物の愛を知らないからです。  本物の愛とは、無条件の愛、永遠の愛、自分を犠牲にする愛です。具体的には、Iコリント13章に記されている愛です。もちろん私たち自身にはそのような愛はありません。ただ、次の二つのことを知っていれば十分です。 ①私たちは、キリストの無条件の愛、不変の愛、義性的な愛で愛されている ②私たちは、そのキリストの愛を倣うべく訓練され、成長していく  世は、お金で買える愛、条件次第で変わる愛、自己中心の愛など、偽物の愛であふれています。偽物と本物を見分けるには、神の愛という本物の愛に触れ続けることです。  そして、お金で愛を買うのでなく、愛でお金を使うのです。