どっちつかずではいられない

マルコ6章16~20節に、ヘロデ(アンティパス)がバプテスマのヨハネの首をはねる場面が出てきます。  ヘロデは、自分の兄弟ピリポの妻ヘロデヤを奪って、妻にしていました。それに対し、預言者ヨハネは王ヘロデに立ち向かい、「兄弟の妻を自分のものとすることは不義だ」と厳しく非難しました。そこでヘロデはヨハネを捕らえて、投獄します。 妻となったヘロデヤはヨハネを怨み、殺そうと思っていました。しかし、夫ヘロデは煮え切りません。ヘロデは、「ヨハネが正しい聖なる人である」と認めており、ヨハネを「恐れ、保護を加えて」もいました。ヨハネの教えに「非常に当惑し」ながらも、「喜んで耳を傾けていた」のです。投獄しても処刑はしないでいました。  業を煮やしたヘロデヤは、ヘロデに白黒をつけさせます。ヘロデの誕生日の祝宴で、ヘロデは踊りを踊ったヘロデヤの娘に「欲しいものを与える」と約束しました。それを好機に、ヘロデヤは娘に入れ知恵をして、「ヨハネの首」を所望させたのです。 ヘロデにとって、ヨハネは主の言葉を告げる預言者です。ヘロデヤという女はヘロデの不義の象徴です。「真理か不義か」の狭間に立たされ、ヘロデは「非常に心を痛め」ます。が、結局、客の前で誓ったことなので、娘の願いを聞き入れました。 真理を喜び、真理に引かれてはいても、最終的には、真理に生きられなかったのです。  ルカ13:32で、イエスはそんなヘロデを「狐」と呼ばれました。イスラエルという「葡萄畑」を荒らす者という意味です。イエスは十字架に架かる前、ヘロデと対面されましたが、一言も発せられませんでした。彼の心を見ておられたのでしょう。  後年、ヘロデは、甥のアグリッパ(ヘロデヤの兄弟でもあるヘロデ・アグリッパ1世)の讒言によって領地を没収され、流刑地で失意の死を遂げます。  I列王記18:21で、預言者エリヤはイスラエルの民に、「あなたがたは、いつまでどっちつかずによろめいているのか」、主か、バアルか、どちらかを選べと迫りました。しかし、「民は一言も彼に答えなかった」のです。その直後、エリヤはバアルの預言者を滅ぼしています。  いつまでも、どっちつかずではいられません。