ウソにあふれている社会

今日、何が真実で事実なのか、判断するのは容易ではなくなりました。今日の社会には、嘘の情報があふれているからです。 あなたは、何かを調べるとき、すぐにインターネットで検索する癖がついていませんか。私はそうです。しかし、そこに書き込まれていることは必ずしも事実・真実とは、かぎりません。例えば、健康に関することでは、50%はウソ情報、40%は本当か嘘か判別ができない、10%だけが正確という調査報告がありました。意図的嘘もあれば、発信者の無知ゆえの嘘、それを信じた人が善意で流す嘘・・・もう素人には確認のしようがありません。健康関連の広告は真に受けないほうが安全なようです。「個人の感想」という「但し書き」があるのは、特に要注意です。 人間は、真実ではなくても、信じたいことを信じる傾向があります。あるいは、恐れや不安から、信じ込まされてしまうこともあります。そして、一旦信じたら、信じたことに固執し、嘘でも事実であってほしいと願うようにさえなります。そういう弱さはないか、自分を省みることも大切です。 SNSには、中傷、嘲り、ヘイトスピーチ、根も葉もない噂」があふれているそうです。悪意だけでなく、善意や正義感で批判、攻撃してしまう人たちも多いのです。 残念ながら、キリスト教の社会にも、証拠、事実の裏付け、直接的な聞き取りがないまま、一方的に特定の教会や個人への批判、中傷、悪評をネットに載せる人たちがいます。何と、教職者にもいます。そしてそれを、やはり正義感からか、あるいは面白がってか、ツィートする人たちもいるのです。 今から3千数百年前、主は今日の状況を見越して、こんな警告をなさっています。 「あなたは根も葉もない噂を流してはならない。悪人に加担して、悪意のある証人になってはならない。多数に追従して、悪を行ってはならない。訴訟において、多数に合わせて答弁し、判決を曲げてはならない。また、訴訟において、ことさらに弱い者をかばってはならない」(共同訳・出エジプト23:1~3)。 悪評、噂、センセーショナルな情報は、必ず裏を取って事実を確認すること、そして裏のない情報は流さないこと、です。