新しい歩み

今世紀に入って20年目を迎えました。この間(カン)の社会の変化は、それ以前の20年の数倍であると感じさせます。これからも変化は加速し、特にAI技術が社会や人間観や人間関係を一変させてしまうことでしょう。  六〇半ばの私には、とてもついて行けそうにはいけません。でも、果たして、ついて行く必要があるのかと思います。開き直って言うわけではありません。ホリエモン(堀江貴文)は、AIを理解しない人間は絶滅予定種であって、相手にするなと言いますが、便利さと豊かさと自由の極致が、本当に人間を幸福にするのか疑問です。むしろ、人類は破滅に向かっているようにしか思えないのです。  なぜか。どんなに時代と社会が変化しても、人類の心の根底にある罪の性質は全く変わらないからです。人間は悲しくなるほど自己中心であり、相変わらず愛と義が欠如し、呆れるほど高慢です。創造主に反逆して以来、サタンの性質を引き継いだままなのです。サタンの性質とは、高慢、悪、偽り、人殺し、そして自己破滅的傾向です。  今日、人類が絶滅を回避するために必要なのは、社会変革でも科学技術の革新でもなく、哲学的なパラダイムシフトでもありません。人間そのものの「新しい創造」です。罪の性質から解放され、いのちの主イエス・キリストに属する「新しい人」として生きることです。人間自身の内側が聖くされなければ、どんな社会変革や技術革新がなされても、根本的な解決にはなりません。 さて、今年のGCCテーマ聖句は、ローマ 6章4節 です。 「私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです」。  私たちの「古い人」が葬られて、「新しい人」が生まれ、永遠のいのちでキリストとともに生きること、そこからしか、真の解決は始まりません。そして「新しい歩み」をすることこそが、世界を祝福することになります。