コロナ前を振り返る

世は、コロナ禍関連の話題で一色です。

テレビ、ネットのニュースが世界各地、国内各地の現状を次々に報道します。政治家、医療専門家の意見も飛び交います。デマや相矛盾する情報も飛び込んできます。

世界の文明批評家たちは、コロナ後の世界を論じ合っています。もう、世界は元には戻らないと。政治も経済も、社会の仕組みも、教育や文化も、価値観や倫理観も、コロナ前とは変わってしまう、と言います。確かに、身近になったテレワークひとつとっても、生活スタイルが変わると想像できます。

また、社会は二つに分かれていくとも言われます。このような事態に新たな活路を見出し、時代の潮流に乗っかっていく人と、愚痴ったり嘆いたりして、時代のなすがままに流されていく人たちと。

しかし、現在や将来のことだけを考えていればいいのではありません。「私たちの生き方は正しかったのか」と、過去を振り返ることが大切です。今のところ世界の感染者は440万人、死者は30万人です。主イエスが語られた通り、ウイルスの犠牲者は私たちより罪深いわけではなく、「あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅び」るのです(ルカ13:2~5)。

コロナウイルスは、人々の生活基盤の脆弱(ぜいじゃく)さ、自己中心性、恐怖心と攻撃性、国家や指導者依存の体質を暴き出しました。しかし、諸政府も国民もコロナ禍の政治経済や社会問題にしか目を向けません。たとえコロナ禍が過ぎ去っても、人々の内面は過去と何も変わらないと予想されます。

9.11の同時多発事件もそうでした。あれほど人々の心を揺り動かしたのに、10年たたずして、元の世俗主義、物質主義、快楽主義に戻っていました。

私たちクリスチャンこそ、この世に馴染んだ生活態度やものの考え方を問い直し、聖書の教えに沿ってそれを真っすぐに正すべき時です。私たちには「世界を修復し、神の国の祝福を広げる」という務めがあるからです。

 さて、地震自体の揺れが収まっても津波が襲ったように、ウイルス自体は消滅しても、混乱は「津波」のように社会を覆うでしょう。私たちはその準備もしなければなりません。

「私はあなたの中に、貧しい者、弱い者を残す。彼らは主の名を逃れの場とする」(ゼパニヤ3:12)。その「逃れの場」を用意するのです。