キリノ大統領の決断「憎しみと赦し」(下)

「赦さなければ、我々は前には進めない」「赦さなければ平和はない」と、大統領権限で日本人戦犯に特赦を出したキリノ大統領でしたが、予想通り、国民の非難と反発はすさまじく、再選を狙った大統領選挙で大敗を喫しました。その2年後、在職中から胃癌を患っていたキリノ氏は、65歳で病死します。

しかし、将来の日本との関係を考え、日本人戦犯を赦し、憎悪の連鎖は断ち切らなければならないことをフィリピン国民に訴えたキリノ氏のキリスト信仰は、フィリピンの信仰者たちの心に残りました。キリノ氏の死後、何年か経って、あれほど猛反発していた市民の間から、キリノ大統領の決断は正しかったことを認める人たちが出てきたのです。そのひとりロチャさんは、「ずっと憎しみを持ち続けたままでいいのか」と煩悶し、「日本人もまた被害者だ」と考えるに至ります。またピネダという人は、キリノ氏の「赦しの決断」の後を追い、遂に赦しにたどり着きました。みな、憎しみを越えて「赦す」ことを選んだのです(NHKBS「憎しみと赦し」より)。

赦された戦犯も、手放しに喜んだ人ばかりではなかったようです。加納莞蕾という人は「日本人が罪の意識を十分持たず、悔い改めないまま赦免されることには反対したそうです。また横山静雄という人も、「私たちは日本の罪人だとは思っていない。ただ、国際的な罪人だと感じている」ということばを残しています。

赦すことは、自分自身を自由にし、憎む相手を真実の悔い改めに導きます。両者を過去から解放し、前に進むことを可能にします。

「さばいてはいけません。そうすれば、自分もさばかれません。人を罪に定めてはいけません。そうすれば、自分も罪に定められません。赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます」(ルカ 6:37)。主のことばを実践することは世界を変えます。