怠け癖

脳学者によると、人の体や頭はすぐに怠けたがるのだそうです。パウロ風に言えば(ローマ7章)、「私の心は、勤勉でありたいと願っているのですが、私の体と頭の中には怠けたがる性質があり、それが私の勤勉を望む心に対して戦いを挑み、私を、体と頭の中の怠けたいという欲望の虜にしているのを見いだすのです。もし私が怠けているのであれば、それはもはや私自身ではなくて、私の体と頭のうちに怠け癖です。」
 箴言の記者がこんなこと言っています。
なまけ者は言う。「獅子が外にいる。私はちまたで殺される」と(22:13)。
これは恐怖心ではなく、怠け癖で言っています。自分の「体」の怠惰さを正当化するために、「頭」が「街角にライオンがいる」というバーチャルリアリティー(仮想現実)を作り出しているのです。本当はすべきことをしたいのだが、仕方なくテレビを見たりゲームをしたりしているのだと、自分の「心」の中の勤勉さを慰め、人の批判をかわそうという「頭」の知恵です。「頭」は怠ける口実のためには、いろいろ知恵をしぼり出すのです。箴言の記者はそれを見越したかのように、「なまけ者は、分別のある答えをする七人の者よりも、自分を知恵のある者と思う」(26:16)と皮肉っています。
 ところで、クリスチャンが良い行いに励む原動力は、恵みによって救われたという感謝と喜びです。その感謝と喜びは、パウロによれば、したい善を行えない自分の惨めさを実感すればするほど大きくなるようです(ローマ7:24、25)。どうしようもなく惨めな自分が、それでもキリストの恵みによって救われていることへの感謝と喜びです。怠け癖に対しても同じです。「仮想現実」(言い訳)を創作して自分を欺き、人の批判をかわすより、努力したいと思っても怠けてしまう惨めさをそのまま主の前にさらけ出すことです。「頭」が言い訳の知恵を出そうとしても、機先を制して阻止し、そんな惨めな自分が神の国に入れられていることに感謝するのです。その感謝と喜びから、怠惰の克服が始まります。