なぜ私たちは、夜、眠るのか

人間は人生の三分の一は眠っています。眠らなければ、生きていけません。神は眠られることはないお方なのに、そして人をご自身に似せてお造りになったのに、人を眠らなければならないものとしてお造りになったのは、なぜでしょうか。
それは、罪の性質を持つ人間が眠らない生き物であったなら、ブレーキ装置のない暴走車のように走り続け、あれよあれよという間に、自然も社会も破壊させてしまうからです。主なる神は一度、ノアの洪水で地上の生き物を滅ぼされたとき、「人の心の思い計ることは、初めから悪であるからだ。わたしは、決して再び、わたしがしたように、すべての生き物を打ち滅ぼすことはすまい。」(8:21)と心に決められました。それゆえ、もうそう簡単に罪人の世界を滅ぼすわけにはいかないのです。主は、眠りによって人間の破壊スピードを落とさせ、また人間が眠っている間に自然や家庭や社会を祝福なさいます。
さらに眠りが重要なのは、人が眠っている間に、主は恵みを注がれるからです。詩篇127:2に、「あなたがたが早く起きるのも、おそく休むのも、辛苦の糧を食べるのも、それはむなしい。主はその愛する者には、眠っている間に、このように備えてくださる」とあります。人が思い煩って動き回り、わずかな知恵で余計なことをすれば、かえって主の恵みの働きを邪魔することになります。人が何もしないで眠っているほうが、主は働きやすいのです。特に、闇が支配する真夜中に、何かを決断し行動してもいいことはありません。つまり、私たちが心配したからといってどうにかなるわけではないときは、眠っているうちに、主が恵みのわざをなしてくださると信じて寝るほうがいいということです。
 主に信頼し、思い煩わずに眠る生き方を学びましょう。主は、「見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない」(詩篇121:4)というお方です。信仰によるアブラハムの子孫である私たちも、常に主に守られています。主があなたを平安のうちに、深い眠りに導かれますように。眠っているうちに、主の恵みが広がりますように。