3.11を覚えて

9月1日は、1923年の関東大震災を覚える「防災の日」。そして3月11日は東日本大震災を記憶する新たな防災の日になっています。5年前、「危険だと感じれば、必ず備えておくべきだ」と訴えていた、東北の牧師の姿が記憶によみがえります。学者たちが30年以内に首都圏直下大地震が起こる確率は70%と警告して5年が立ったのです。「天災は忘れたころにやってくる」。あの日以来、私は忘れないように努めてきました。
 GCCが第二の開拓を計画するなら、首都圏に隣接する地か少し離れた地方だと、以前から考えてきました。「地方の活性化に貢献する」「清浄な空気と水と野菜のある生活」「ゆとりのある時間の回復」「神の家族の豊かな交わりの確保」「近隣の人々との交わり」「自然と広い空間を楽しむ」などが、その目的と願いでした。3.11以降は、さらに「東京大災害の逃れの地を用意する」が加わりました。
 2013年、NHK広島取材班による『里山資本主義』が火付けになったのか、「地方回帰」をテーマにした本が書店に並ぶようになりました。大都市への人口流入は相変わらずですが、地方への逆流は着実に始まっています。脱大都市を勧める本も増えています。最近、その一つ、『老いる東京、甦る地方』(牧野知弘著PHP)を読みました。著者は「団塊の世代が多い東京はやがて高齢化の時代を迎え、活力を失う時代に入る」ことを指摘し、「地方の繁栄の可能性とその方法」を提案しています。
 今のままなら、東京が震災に見舞われた場合、私たちGCCもただの被災者となり、衣食住や医療の面などでは、助けてもらわなければならない側に回ってしまいます。助ける側に回り、祝福する働きをするためにも、地方にも共同体を開拓しなければならない時に来ていると考えます。聖書の視点に立って、どのように社会の風潮と時代の流れを読み、どのようなメッセージを伝え、どのように人々を祝福するか。それも神の国を体現する教会の務めだと信じます。