電車内で化粧はみっともない

東急電車の「電車内での化粧はみっともない」というマナー向上ポスターや動画広告に、女性たちから批判が殺到したそうです。
その反論は、「誰にも迷惑かけていない」「なぜ化粧だけをやり玉に挙げるのか」「電車で化粧して何が悪い」「足を広げた男性のほうが迷惑」「女性を抑圧している」といったものですが、私はこの反論の仕方のほうが「みっともない」と思いました。まるで子供の逆ギレです。つまり、こんな言い方でしか、自分のしている「みっともない」ことを正当化できないということです。「電車で化粧して何が悪い」という反論には、「電車内での化粧はみっともない、と言って何が悪い」と逆反論もできます(同レベルに落ちるのでしませんが)。
そもそも人は、だいたい同じような言い回しや理屈で、怠惰癖、ギャンブル癖、ゲーム癖から、ポイ捨て、マリファナ吸引、援助交際、売春まで正当化しようとします。自分のしていることに確信がない人ほど、「何が悪い」「みんなしている」「迷惑かけていない」といった弁明をしたがります。
三浦綾子の作品『愛の鬼才』に、実在の主人公西村久蔵が、酔っ払いから「俺は酒を飲むしか楽しみがない。てめえの金で酒を飲んで何が悪い」と食ってかかられる場面があります。久蔵はひるまず、「悪い!酒しか楽しみがないなどと言ってはいけない。人生はそんなに軽いものではない」(うろ覚え)と一喝しています。もっと崇高で、正しい生き方ができる、というのです。
II列王記7章に、サマリヤの町を包囲していたアラム軍が逃げ去り、残していった金銀、衣服を漁っては隠す4人のツァラアト患者が出てきます。彼らはその最中、「私たちのしていることは正しくない」と話し合い、飢えで苦しんでいる町に解放を知らせに走ります。彼らは、「自分のしていることは正しい」という確信が持てたことでしょう。
恵みと祝福を味わえば、言い訳や逆ギレ反論は減っていくと思います。