最新エントリ
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2008/05/09
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カテゴリ : QT180
執筆者:
mitsuok (7:30 am) |
「主よ。私の心は誇らず、私の目は高ぶりません。及びもつかない大きなことや、奇しいことに、私は深入りしません」(詩篇131・1)。 偉大なことにチャレンジするのを止めよというのではありません。高慢になって大言壮語したり、無謀なことに関わったり、思いつきで事を始めたりするなということです。むしろ日頃の祈りと御言葉の実践に裏打ちされた信仰を養い、主の御計画に備えましょう。 |
2008/05/08
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カテゴリ : QT180
執筆者:
mitsuok (7:37 am) |
「主よ。あなたがもし、不義に目を留められるなら、主よ、だれが御前に立ちえましょう。しかし、あなたが赦してくださるからこそあなたは人に恐れられます」(詩篇130・3、4)。 主が残酷な審判者であるなら、主を恐れても意味はありません。ただ絶望あるのみです。しかし、主は慈悲深く、心打ち砕かれた者を赦す方です。それゆえ、主は恐れるべき方です。主は愛だからこそ、恐れ甲斐があります。 |
2008/05/07
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カテゴリ : QT180
執筆者:
mitsuok (7:11 am) |
「彼らは私の若いころからひどく私を苦しめた。彼らは私に勝てなかった」(詩篇129・2)。 どんなに苦しみが続いても、敗北を認めてはなりません。私たちは苦しめられていても、主に仕えることはできるし、主の栄光を現すこともできます。病や不自由や貧困であっても、そうでないときよりも、むしろ偉大な働きをなすことが可能です。主に信頼して、「苦しみは私に勝てない」と宣言しましょう。 |
2008/05/06
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カテゴリ : QT180
執筆者:
mitsuok (7:11 am) |
「幸いなことよ。すべて主を恐れ、主の道を歩む者は。あなたは、自分の手の勤労の実を食べるとき、幸福で、しあわせであろう」(詩篇128・1、2)。 自分の過失や成績不振に対して言い訳をせず、自分の責任を誠実に、全力で果たしましょう。それで人に評価されなかったとしても腐らず、主の前に「なすべきとをした」ことを喜びとしましょう。主はその人に、真の幸福と平安を備えてくださいます。 |
2008/05/05
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カテゴリ : QT180
執筆者:
mitsuok (7:39 am) |
「主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい。・・あなたがたが早く起きるのも、おそく休むのも、辛苦の糧を食べるのも、それはむなしい。主はその愛する者には、眠っている間に、このように備えてくださる」(詩篇127・1、2)。 主がよしとされないことに、時間と労力を注ぐのは止めましょう。無益です。ただ、主の御心にかなうことを求めましょう。主がすべて整えてくださいます。 |
2008/05/03
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カテゴリ : QT180
執筆者:
mitsuok (7:16 am) |
「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです」(Iヨハネ4・10)。 独り子を十字架につけてくださった神の愛以外に、愛を求めてはなりません。私たちは、この世の条件付きの愛に何度も裏切られ、虚しさを味わったではありませんか。本物以外の愛や希望を求めないという決心を新たにしましょう。 |
2008/05/02
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カテゴリ : QT180
執筆者:
mitsuok (7:42 am) |
「子どもたちよ。あなたがたは神から出た者です。そして彼らに勝ったのです。あなたがたのうちにおられる方が、この世のうちにいる、あの者よりも力があるからです」(Iヨハネ4・4)。 私たちは世に対して圧倒的勝利者です。勝利の主がわが内に住まわれるからです。ですから、わざわざ議論や能力で人を負かそうなどと考える必要はありません。勝利者としての謙遜さで、相手を受け入れましょう。 |
2008/05/01
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カテゴリ : QT180
執筆者:
mitsuok (8:37 am) |
「子どもたちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行いと真実をもって愛そうではありませんか」(Iヨハネ3・18)。 愛の表現は拙くても、行いと真実があること、それが真の愛です。言葉は巧みであっても、行いと真実がなければ愛はありません。また、立派な行いがあっても、真実と愛がなければ、偽善行為です。愛と行いが真実を表します。この三つが一つになるようにしましょう。 |
2008/04/30
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カテゴリ : QT180
執筆者:
mitsuok (10:43 pm) |
「キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです」(Iヨハネ3・16)。 命をも捨てる愛には胸打たれます。しかし、私たち自身が「命を捨てるほどに愛せよ」と迫られれば、たじろぎます。そのたじろいだ心で、十字架を見上げれば、キリストの愛の崇高さに体が震えてきます。 |
2008/04/29
