心に形成された回路

胎児期に脳ができ始めるとき、神経細胞は四方八方に伸びて、手あたり次第に結び付き、複雑な回路網をつくり上げていきます。そうして誕生し、外的環境のさまざま刺激にさらされると、よく使われる回路は次第に太くなり、使われない回路はつながりが切れて消滅していきます。日本人なら、日本語を母語とし、和食の味を覚え、日本人のものの考え方を形成します。音楽をたしなむ環境で育てば音感が、スポーツ一家では運動神経が発達しやすくなるのです。
 こうして脳は外界との接触によって、固有性を持つ回路網を形成していきます。これは生きていく上で重要なことではありますが、一方で、脳に固定した枠(感性や思考のパターン)をつくり上げることにもなるのです(福岡伸一『動的平衡』小学館新書参照)。
 ところで、私は、脳がすべてであるなどとは考えていませんが、創造主なる神を排除した社会で教育を受け、神の言葉ではなく人間の教えを基準とした世界観、価値観の中で心の大枠が形成されたことは否定できません。私の人生は、その古い大枠を壊し、新たに神を基準として、神の言葉で人格の大枠を再形成するための戦いであったと思います。今もその戦いは続いています。以下の二つ御言葉は、その戦いのための指針です。
 「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです」(ガラテヤ2:20a)。「あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい」(ローマ12:2新共同)。
 若い時からこの国の教育と環境で形成された心の回路は、まことに頑固です。その古い回路は使わないようにして細くし、消滅させ、御言葉を繰り返し繰り返して新しい回路を形成し、太くしていく戦いが生涯続きます。
 子供の教育をこの世から取り戻すことの重要性を痛感しています。