じっと静かにする

食欲、金銭欲、情欲、所有欲、名誉欲・・・これらの欲望はすべて人間の生に関わっています。食べ、お金を儲け、子をもうけ、家や土地を所有し、人を打ち負かし、人から称賛を受けることを求めて、がつがつ生々しく生きていきます。  茶道は、そんな生々しさからひととき解き放ってくれます。茶道は、本来、食欲や情欲、所有欲や名誉欲とは無縁であり、勝ち負けもありません。それは、遊びの時空です。作法どおりに座って心を静め、作法通りに手を動かし、作法通りに一服口に含むと、心にスーッと清らかさが染みこんでいきます。遊びだからこそ、作法にのっとるということが大事なのです。・・といったようなことを、司馬遼太郎が何かに書いていました。  ところで、この季節、住宅街の路地を歩いていると、蝋梅の微かな香りが漂ってきます。思わずその木を目で探していまいます。蝋梅はむかし懐かしい匂いです。故郷の山々を思い起させます。 ここは里山とは異なり、車が残していく排気ガスで乱されることもあります。でも、その臭いが流れ去ると、蝋梅の香りはスーッと戻って来ます。いや、戻ってくるというより、もともと蝋梅は変わることなく、その空間を香りで覆っていたのです。 キリストを心に迎えた私たちも、「キリストの芳しい香り」(コリント二2:15)に包まれています。時折、その慕わしい匂いが欲望でかき乱されてしまうことがありますが、じっと静かにして待っていれば、自ずから主の香りは戻って来ます。いつもそこに漂っているからです。 さて、今日の中心聖句は、「立ち帰って落ち着いていれば救われる。静かにして信頼していることにこそ、あなたがたの力がある」(イザヤ30:15)です。 イスラエルの歴史は、大帝国や、中小の異教諸国に侵略され、蹂躙される苦難の連続でした。しかし、どんな事態に陥っても、主の救いと力は変わらずイスラエルとともにあったのです。静まって主を信頼すれば、本当は、それが見えたのでした。