ハカー 待つ

イザヤ30:18(2017) それゆえ主は、あなたがたに恵みを与えようとして待ち、それゆえ、あわれみを与えようと立ち上がられる。主が義の神であるからだ。幸いなことよ、主を待ち望むすべての者は。  「ハカー」は、主は、恵みを与えるために待ち、私たちは祝福を受けるために待つ、という「待つ」。この「待つ」は、40:31「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように、翼を広げて上ることができる」の「待つ クァヴァー קוה」とは異なります。「クァヴァー」は、ロープを結ぶときに使われる語です。「自分を主に結びつける者は、新しく力を得る」ということです。  「ハカー」は、通常の「待つ」「忍耐する」を意味します。  ただ、「ハカー」には、最後の瞬間までも待つ、という含みがあります。主は最後の場面まで待って介入されるというのが、一つのパターンになっているかのように思えます。たとえば、アブラハム夫婦に子どもを与えると言われて、25年もまたされました。サウル王はサムエルが定めた7日間をぎりぎりまで待って、待ちきれずに祭司の務めである「いけにえ」を捧げてしまいました(Iサム13:8-10)。ヨシュアもエリコの城壁を毎日1度回り、7日目の最後の7回目まで回って、城壁が崩れるのを見ました。 しかし、イザヤ30:18で使われている「幸いなことよ」(祝福された)にあたるヘブライ語は、よく使われる「バラク ברכ」ではなく、「アシャ―ル אשר」なのです。「アシャール」は、単に「幸い」を意味するのではなく、「平安と幸いに向かっていく」を意味するのです。つまり、18節の意味は、「事態は悪化するかもしれない。しかし、主は義の神であるゆえ、私たちに憐れみと恵みを注いでくださる。それゆえ、最後の時までも辛抱強く待とう」ということなのです。