不安ではなく危機意識

コロナ禍で、忘れられたようになっていますが、首都直下型地震、東海から南海の大地震「30年以内70%」の可能性は、2011年以来、消えたわけではありません。また、今年も各地が梅雨の豪雨に見舞われましたが、スーパー台風来襲の可能性がなくなったわけでもありません。

 それに加え、今年3月31日、政府の中央防災会議が富士山噴火のシミュレーションを発表しました。「首都圏で2~10センチの火山灰が降り積もる。降雨の場合、首都圏の電車がストップし、大規模な停電が発生し、スマホなど電子機器も使用不可になる。買い占めで食料や水が不足する」というのです。

ここ1200年の間だけでも富士山は11回噴火したが、江戸時代の宝永噴火(1707年)以来約300年間沈黙している、明日噴火してもおかしくない状態にあると、ほぼすべての火山学者が口をそろえて警告しているそうです。

私は悲観的に物事を考える傾向があります。心配したことの8~9割は起こらないなどと言われます。しかし、楽観的に考えても、起こるものは起こるのです。現実に日本列島は大災害を繰り返してきました。そういう国に暮らしていることを忘れてはなりません。

預言者エレミヤは、滅びを前にしたユダ王国に、主の警告を語りました。「身分の低い者から高い者まで、みな利得を貪り、預言者から祭司に至るまで、みな偽りを行っているからだ。彼らはわたしの民の傷をいいかげんに癒やし、平安がないのに、『平安だ、平安だ』と言っている」(エレミヤ6:13、14)。

多くの日本人が不安には感じてはいるでしょう。しかし、必要なのは、不安ではなく危機意識です。危機意識を持つ人が少ないのです。危機意識があるなら、必ず行動に出るからです。危機感からの行動の第一歩は、悔い改めです。 神の国の祝福は、悔い改めから始まります(マルコ1:15)。クリスチャンにとって悔い改めとは、生温い信仰から主に立ち返ることです。もう一度、主の恵みに戻ることです。すべての希望、そして、なすべきことは、主の恵みからしか見えてきません。主の恵みの核は、いうまでもなく十字架による罪の赦しと永遠のいのちです。