名脇役

小林稔侍という役者をご存知でしょうか。脇役を演じることが多いですが、なかなか光っています。

最近は、藤沢周平原作・北尾氏欣也主演の時代劇『三屋清左衛門残日録』に出演していました。武士としての義を貫いて不遇を受け入れ、困窮しながらも鍬をとって自足し、家族を愛し通す役柄です。最後は、若い頃に鍛えた剣の腕前を発揮して清左衛門の息子を救いますが、何事もなかったかのように剣を捨て、鍬を取り直します。

小林稔侍さんはこのドラマに関して、おおよそ次のようなコメントを残しています。

自分の演技で人を感動させているのではない。自分が演じた人物が感動させているんだ。勘違いしてはいけない。思い上がってはならない。ドラマ中の役柄が自分を生かしているのだ。その役を受けたことへの感謝を忘れてはいけない。

ところで、私たち人間は、もともと神に「似せて」「神のかたち」に造られたものです(創世記1:26)。神に似た者として、神の性質を具現するために生かされています。それが、神の栄光を現すことでもあります。

「世界の基の置かれる前から」キリストにあって選ばれたのも(エペソ1:4)、いわば神の国の歴史という壮大なドラマの中で、それぞれがキャスティング(配役)されて、その役柄を忠実に演じるためだ、と言えそうです。

そして、次に大切なのは、私たちはこの神の国のドラマの脇役だという自覚です。主役はキリストです。主役になりたがると、人を妬んだり、争ったり、高慢になったり、卑屈になったりします。しかし、名脇役を目指すなら、「ドラマ中の役柄が自分を生かしている。その役を受けたことへの感謝を忘れてはいけない」と、謙虚になります。

神の国のドラマは架空ではなく、リアルです。クリスチャンには、悪役、敵役はありません。あるのは、神の国に必要な役と、そしていい演技、悪い演技です。いい演技とは、主役のキリストが輝くように、自分の役を演じ切ることです。よく演じたとき、その役柄があなたを生かすことになります。名脇役だと、「神から称賛が届く」(Ⅰコリ 4:5)でしょう。