与えられた時間を大切に使う

堀江貴文氏の『遊ぶが勝ち!』というビジネス書を読みました。著者が人生で一番大切にするのは、「時間」です。「時間があるからこそ、人生で本当にやりたいことをして生きることができるのだ」と言う彼は、日常の「無駄な」時間を極限まで切り詰めます。それだけでなく、時間を大事に使うため、「怒りにとらわれない」「裏切られても許す」「恨みは手放す」など、心の使い方についても述べています。ちょっとクリスチャンっぽいと思わせるほどの内容です。神を信じない人であっても、時間の使い方を突き詰めるなら、信じる人と少し似たことを行うようになるのだと、感心しました。時間の感覚。私たちには、主から与えられた時間があり、主はそれを管理していくことを、願っておられます。いただいた時を尊ぶなら、クリスチャンはなおさら、生活のしかたや、心の持ち方が変わってくることでしょう。年始には海外ドラマを見すぎたと反省し、反省にも時間を取られている私は、さらに反省の心持でした。

 ところで、まさに時間の限られていた人が、聖書にはいらっしゃいます。イエスさまです。イエスさまの公生涯は3年半、あっという間です。しかし、イエスさまは、時が迫っているからといって、「ほら!ここで30分説教したらすぐに次の土地に行くぞ!時間がないんだから!」みたいに、秒刻みのせわしない生活されたわけではありません。では、イエスさまは何に時間を使われたか?それは、父なる神のみこころを聴くこと、そして、人を育てることだと、私は思います。夜には山で祈られました。また、そして生涯の終わりに近づくほど、弟子たちとともに過ごされました。やがて福音の震源地となる初代教会で要となる弟子たちに、言葉だけでなく、交わりを通して、主に従うことの手触りを体験させていったのです。ここに、限られた時をどう過ごすかの模範があります。  与えられた時を、賢く使うこと。その時を用いて、主のみこころを探り、人を育てていくこと。これが、イエスさまの見せてくださった姿です。(新田優子)